独断書評

2006年07月14日

言葉 概念 感情 人:リベリオンの限界

昨日、ガン・カタ(型)を謳い文句にする「リベリオン」を見てました。
アクション自体は面白かったですね、やっぱり。
というか、余程のものでなければ、アクションモノは楽しんでしまいますが(笑)。

この「リベリオン」、第三次世界大戦後の世界を舞台に、
「戦争の源」を人間の過剰な感情に基づくものとして作られた「平和な」世界、
その世界への抵抗と解除の物語、と簡単には言えるでしょうか。続き、こちらにおります

2006年06月21日

夜の底

「夜の底が白くなった」(「雪国」川端康成)
綾:感覚を、奉ずるということ;横光利一と川端康成 - livedoor Blog(ブログ)より

川端康成はともかく、横光利一の記憶は既に私には遠過ぎますが、確かに新感覚派や新感覚主義という言葉は記憶に残ってます。
それを、やはり朧な記憶の川端康成から引いたとして・・・そして、風さまの解説(?)を頼りに考えたところ、いや感じたところを。続き、こちらにおります

2006年02月18日

汚れちまった悲しみに・異聞

綾見さんのブログには、必ずと言って良いほど(というか、必ずか?)中原中也の一文が載っている。
その都度、瞳に映る中也は、やはり詩星と想わずにいられない。
ところで、私は、あり得ない読み方をしていたことに気付いた。
著名な詩、「汚れちまった悲しみに」である。続き、こちらにおります

2006年02月17日

鬼平犯科帳

今日は珍しく「鬼平犯科帳」のスペシャル!!
ということで楽しんで見てました(笑)。

私は、何故か本より先にTVで見てしまったのですね。
ちょっと残念な気がしないでもない。
続き、こちらにおります

2006年01月19日

浮遊

昨今の脳科学の分野では「クオリア」というヤツが注目を浴びているそうだ。
モノの本によれば、それは
心の質感
とでも言うべきもので数値化出来ない、とか。



てめぇの実感くらいはてめぇで考えろ、感じろい!

と乱暴の一つも言いたくはなるが、それでは身も蓋もない。

では、このクロリア・・・やや、クロアリ、クロードチアリ、千秋直美、もといクオリア。
私流に定義させて頂ければ、それは「浮遊感そのもの」ではないかと想われるのである。
それが二極構成された平面、あるいは3次元はたまた異次元空間に位置づけられうる物か、それは知らぬ。

が、この生きているという感覚というヤツ。
私としては死んだ自分と生きてる自分の狭間で浮かんでいるとした方がしっくりとくる。
死を身近に感じたことのある人なら、今は生きてるわけだから容易に御理解頂ける感覚ではなかろうか?
死など感じたこともない子供時代に「生きている実感」があった記憶は不幸にして私の記憶の範疇にはない。

そう言ってしまうと「生きてる」という現象、これは相対世界にフワリ浮かんでいる浮遊感そのもので、数値化出来なかろうと、ある意味なんとも無機質でつまらぬ。
よく死人が浮遊しておるが、あれは現世とあの世の間を浮遊しておるのであって、これはまた趣が異なる。
ちなみに、そのような浮遊物体を確認したことはまだない。

しかるに人間が生きていることを浮遊すると定義するならば、本当に生き生きとして生きているには浮遊せねばならぬ。
明日をも知れぬ、いや、一寸先は闇の身にこそ生、宿るべし。

もっとも一寸先に闇が待っていることを知らぬが仏は御本人様だけだったりするものだ。
真っ暗クラの暗中では浮遊出来ない。浮遊感を掴めないのである。

それは、確かに感じたことがある。