雑時事想書

2006年07月18日

新居、準備中

只今、新居、準備中です。

暫しは行ったり来たり、同じもの。
いずれは何処に戻り行く。
やがて地平の蜃気楼。

今後とも宜しくお願い致します。

追伸、
デザインが気に喰いません。
いじるのも面倒です。
落書だけが書いてあるような、
うるさくないの、お薦めあったら御意見下さい。
どうせ私が汚してうるさくなるので(笑)。

2006年07月17日

なんにもない

「なんにもない なんにもない まったく なんにもない♪」
やつらの足音のバラード 作詞:園山俊二

叫んだ声(吹き出し)が「物体」になって砕けて落ちる。
言葉がしゃべれない毛むくじゃらのドテチン。
食卓に並ぶのはマンモスの巨大生肉。

「はじめ人間ギャートルズ」というのは、今更ながら変なアニメだった・・・
し、何も分からない年頃のはずなのに、
毎回、飽きず見ていたこのアニメは何故か強烈に記憶に残っている。
続き、こちらにおります

2006年07月14日

言葉 概念 感情 人:リベリオンの限界

昨日、ガン・カタ(型)を謳い文句にする「リベリオン」を見てました。
アクション自体は面白かったですね、やっぱり。
というか、余程のものでなければ、アクションモノは楽しんでしまいますが(笑)。

この「リベリオン」、第三次世界大戦後の世界を舞台に、
「戦争の源」を人間の過剰な感情に基づくものとして作られた「平和な」世界、
その世界への抵抗と解除の物語、と簡単には言えるでしょうか。続き、こちらにおります

指輪の中

久し振りに、その駅を過ぎた。
 何年・・・いや何十年になるのかな・・・
そんな想いで、つい視線を走らす自分に苦笑が絶えない。
数分後、よくよく考えてみたら、
「今、目の前を素通りされても分かりゃぁ〜しねぇんじゃねぇか?」
と想ったら、余りに滑稽で涙腺が緩んでしまった。
悲しい・・・とかいうのとは違う。
ただただ、涙腺が緩んだだけ。続き、こちらにおります

2006年07月10日

真夏の調べに

当時の私は、我ながら厭きれ返るほど先行きどうなることやらという状態で。
全くに今更ながら、何を考えてたんだろうと想う。
「野垂れ死にしたって、大して後悔もしそうにないや。」
そんな想いが常に心中に渦巻いていた。
続き、こちらにおります

2006年06月27日

豊穣なる呪の世界

中学生の後期からだろうか、現代思想というのに興味を抱いて乱読した時期がある。
特に興味深く読んだのは記号論だろうか。
流行はやりということもあったかもしれない。
言葉、文字の魔力めいたものに魅かれたのは、その時期の経験も影響している気がする。続き、こちらにおります

2006年06月26日

刷り込まれた膨張

TVで援助交際紛いのことやらなんやらをしている少女達のルポ番組。
続き、こちらにおります

2006年06月21日

彼方へ

僕は貴方を求めているのだけれど、貴方は姿を見せてはくれないのですね
もっとも、僕は貴方のことなんか ちっとも分からないから求めているのだけれど
でも、ちっとも分からないから貴方のことが訳も分からずに怖くって続き、こちらにおります

2006年06月07日

手裏剣術

武術の先生と話していて手裏剣の話になった。
先生は、楊枝を畳に刺せるという。
これは難しい・・・続き、こちらにおります

2006年02月28日

癒されて、安心して、どこへ?

当ブログも参加している人気ブログランキングを上から訪問。
つらつらとブログを見させて頂きながら少し驚いた。
未だに癒し、安心・・・そういったジャンルの方が多く、また求められているらしい。続き、こちらにおります

2006年02月17日

鬼平犯科帳

今日は珍しく「鬼平犯科帳」のスペシャル!!
ということで楽しんで見てました(笑)。

私は、何故か本より先にTVで見てしまったのですね。
ちょっと残念な気がしないでもない。
続き、こちらにおります

2006年02月14日

秋桜

なんとなく、今日は山口百恵さんの「秋桜(コスモス)」のメロディーと歌詞が頭に浮かんで仕方なかった。
彼女が引退してから何年になるのだろう?
参考)
秋桜/いい日旅立ち/さよならの向う側 [Single]続き、こちらにおります

2006年02月13日

はる

すこし あたたかくなってきました
ぽかぽかの おひさまは いいきぶんです

どうろも あたたかくて きもちよさそうです
ごろんとねたら ねてしまいそうです続き、こちらにおります

2006年01月27日

選択のない選択

メダカやらヌマエビを飼ってる関係で、貝の処分を時折する。
厳密には貝は大きく二種類いて、サカマキガイとインドヒラマキガイである。
インドヒラマキガイは意外と高価でもあり、少々珍しかったりアルピノという色素に乏しい希少種が産まれたりで放置して飼ってるのだが、サカマキガイは扱いが異なる。

そもそも、ある種の貝というのは、よほど人間生活に馴染むらしく、ドブ川でもなんでも、その増殖度合いたるや物凄い。
一時期、原子炉の冷却水の吸込み口にクラゲが入ってきて敵わない、という記事が出たが、実際は貝の被害も酷い。

まぁ、酷さを列挙しても意味ないのだが、貝を処分しながら想った。
私が貝を処分するときには無作為抽出であって、処分、つまりや摘み出しやすいという一事だけで処分されていく。
奴らも逃げるという行動が見られるのだが、それには付き合ってはやれない。

しかし、もし、もしなのだが、
「オイ。オイラヲ何デ選ンデ処分スルンダ?」
と貝が問い掛けたら、どう応えよう?
神様よろしくスマシ顔で無視するのも一つではあるかもしれぬ。

が、どうもそういう心境にはなれそうにない気がする。

他は何も変わりはしない。
ただ、貝の問い掛けがあったら、の話である。

2006年01月18日

り・すたーと

すっかり御無沙汰しておりました、まっくです。
こんなに間が開いていたのに・・・本当に有難う御座います。

色々と「書こう」としてましたが、今後は、もっと自由に書いていこうと想います。
「文芸」という拘りの枠を外して。
本当は文芸と言われる分野にしがみ付きたい気持ちも残ってるんですけれどネ(^^;
だから、たまには似非文芸モノも書くかもしれません(苦笑)。
その時は、是非とも笑って読んでやって下さい。

自分は、もっと自由に書く方がいいや、と想いました。
格好よく言えば、エッセーみたいな感じですか?
時事モノや独断で書評みたいなのも。
自分で一から書くより、世の出来事や人の書いたものを基に考えたこと。
なんとも怠け者発想ですが。
他にはビジネス・ネタも(笑)。



最後に、これだけの空白期間、たまに覗いてくれていた方々がいて、
コメントまで頂いていて、返信もしないで・・・
本当にすいませんでした。そして、心から有難う御座います。

そういう方々にとっては、
「こんなヤツだったのか?」
という記事も増えると想いますが、そういうヤツです。

なんか、開き直ったら少しは心のツッカエが取れました(苦笑)。
これからも宜しくお願いします。

まずは、このような形で恐縮ですが、御挨拶まで。

2006.01.18.
 まっく

2005年01月07日

空白脳の意義

人間の大脳のほとんどは使われていないという。
何故に使用しない大脳が存在するのか?
それに関しては未だ全く不明といってよい。

私自身は、いくつかの仮説を持っている。
ナイト・サイエンスの世界だが。

一つは大脳は膨大な生活情報の貯蔵庫ではあるが、
その本質的な目的は遺伝子操作だろうというもの。
通常は遺伝子に基づいて生体は構成される。
しかし、大脳同様、ほとんどの遺伝子の存在意義が
怪しいということが分かり始めてきた。

現在では、遺伝子は環境などのフィード・バックを受けつつ、
ダイナミックに我々の体内でその機能をON・OFFしているという仮説がある。
私は生物の大脳は遺伝子の機能を引き出す装置だと考えている。
ほぼ同じ仮説だ。

この仮説は検証もある程度可能なようで、それでも十年単位はかかるだろうが、
もう少しまともな形で理論的に明らかになってくるだろう。

もう一つの仮説は、我ながら、さらに怪しい。
それは、大脳というのは宇宙までいかずとも、周囲の環境のスクリーンという見方だ。
あらゆる五感情報、通常知覚されない情報をも。
あるいは時空を越えた世界を大脳は投影しているのではないか、というもの。

シンクロニシティが脳内で起こっているといえば分かり易いだろうか?
個人的には大脳フラクタル、と独り言を言っている。
数学理論をこんな形で妄想するのが、古い言い方だが文系頭だとは想うが。

ただ、これに一つ、脳の信号の多くが電気信号であることと併せ考えると、
予知能力なども説明が付き易い。
所謂、ゾーンと言われるスポーツ選手の特殊状態も説明可能だ。

あらゆる存在を電磁的、あるいはミクロの極限まで分解したとして、
世界に生じる現象と脳内が共振的であると見ると、
恐らくは物理的には大きな矛盾のない理論だけは出来る気がする。
時間軸がどのように超越されるのかまでは分からないのだが。

いずれ、このような「妄想」は暇人には楽しい。
いつの日か、科学が日の当たる形で妄想を明らかにしてくれれば、
人間は、また大きく刺激的な存在と再認識されよう。

とはいえ、通常はこんな話は戯言なので、せぬのが賢明かと想われる。



只今、実は御仕事を頑張ってたりします。
どうでもいいから、ちゃんと書きなさいという叱咤激励、ありがとうございますポチ。
書かなくてもいいから、という方もありがとうございますポチ。

2004年12月27日

年賀状

毎年、やはり来る年賀状。
送ってしまう年賀状。

謹賀新年、賀正、あけましておめでとうございます、旧年中は御世話になりました・・・

一枚一枚をめくる年賀状に書き連ねられた文字。
幸せそうな家族写真。

よもや年賀状に
「旧年中は御世話して頂けなくて残念でした
 今年も無理とは思いますが年賀状だけ出しました」
とは、多分、書くまい。

年賀状をめくるその手に、どれ程の辛さ、寂しさが宿っていても、
このPC全盛の時代になれば尚のこと。
画一化された慶賀が宙を舞う。

やはり今年も年賀状。

2004年12月26日

「脱糞 浣腸」でgoogleトップ

先刻「なぜに、このブログにgoogleから?」と想い、
コレなぞ見て軽くショック。
(今さっき見たらロボットの巡回で外れたランク落ちしたようです 同日21:00追記)

「脱糞と浣腸と」をgoogleさんに拾って頂いた上、
あまつさえ「脱糞 浣腸」でトップの光栄を頂戴しているとは(西暦2004.12.26.)。
その趣味でおいでの方には大変、失礼致しました。
興趣をば、削がなかったことを祈るばかりです。

さてぞ、私自身はそちらの性的嗜好はないとはいえ、
こうして書きものなぞし始めてみると、
ましてや人の言葉まで欲しいと想うとなると、
そこにどれだけの違いがあるのか?
と言われれば言葉にも詰まります。

実際、書きたければ御自由にお書きになるだろうに、
言葉が欲しいなぞという想いを抱えているのは、
まるで浣腸を手にして御尻を捜しているようなものです。

ランボオのような才もて言うのとは訳が違いますが、
こうして書いてみれば、やはり脱糞以外の何ものでもない。
回廊さんが鋭く指摘されるように、生きることを脱糞行為と重ね見れば、
高尚なフリなどバカらしくて出来はしませぬ。

せめてスッキリとしたいもので御座います。

2004年12月23日

社長の血液型

あの風さんが、ここで既に笑っては失礼かと想いつつ笑ってしまいますが、
鋭く文芸家の目を以って「血液型」で見る4タイプの分析を試みられています。

私は血液型には精通などしておりませんが、
やはり多くの人を見ていると、一定の傾向がある事に異を唱える気にはなれません。

元来、私の思考には「現れ」というものが御座いまして、
姓名学から近日、試みた易などまで、
やはりそこには何かしらの「現れ」があると見ています。
その意味では血液型も、むべなるかなと。

ただ一点。
さような「現れ」というは、そもそも姓名や血液型に遡らずとも諸所にあるもの。
「一定の法則」に神を宿したかのような面持ちにて人様を当て嵌めんという考えが気に食わぬ、
というところでしょうか?
(風さんの御遊びのことではありません 為念)
血液型に一喜一憂するよりも、自分を、そして人を深く知る術はありましょう。

さて表題に立ち返りますれば、
血液型鑑定士と化した風さまによりますると
日本の社長で最も多い血液型はO型だそうです。
ズバリ血液型を当てられ、似非社長業を営む身としては、
粛として拝受し奉らんと想います。

さわやかラベルとマゾ女と

とある若き友の秘めたる悩みの一つは
「さわやかイメージが先行して女性が安心してしまい、
 機を逸してしまう」
ことだという。
「まぁ、妙齢の女性に可愛がられるから良いではないか」
とは励ましにならない。

男にとって、ある種の「さわやか」「優しい」というラベルは、
確かにひどく迷惑なことがある。
特に若い時は、清き恋心と醜悪な性欲がないまぜにになっているのが、
多くの男の共通項ではなかろうか?
中高年に至れば、清き恋心は想い出のうちに遠望するのみである。

一方で、己の性欲のままに突っ走る輩もいる。
学生時代、友人の知っている人間がその手のタイプだった。
いつも複数の「ヤリタイ」時にヤレル女性を抱え、
ヤルために生活があるかのようなタイプだった。

友人から伝え聞くその模様には、その男自身の酷さ弱さもあるが、
その向こう側にいる女性の「マゾ性」もまた、見え隠れしていた。
ある種の女性は、確かに悲劇的状況(?)を与えてくれる男を、
意識してかせずか、あえてとしか傍目には言えない「選ぶ傾向」がある。
組み合わせの妙でもあるが、他人の介在し得るものではないところ。

まこと不可思議な男女の妙である。
「男と女の間には」とは昔歌ではない。
いつまでも続く永遠歌なのであろう。

私?
私は自分に正直なので、「したい」と想った女性には、
その想いを一杯詰め込んで、
「今度、一杯行かない?」
と申し上げるようにしてます(した)。

2004年12月21日

陰陽と女性時代

「易経」という書物がある。
現代でも解読可能なものとしては世界最古典の書物。
中国思想の源泉であり、その影響は甚大なものだ。

本年の今日21日は「冬至占」と言って、古来、
「君子不占(「君子占わず」)」の原則例外として、
「自分の時」を知るために謙虚になって筮(占果)に傾聴すべき日とされて来たという。
(詳細は「亞の玉手箱」にて)

そんなわけで、本日は易占いのために精神統一。
といっても、私の精神統一たるやボーッとするだけなのだが。
易占いは森羅万象、曼荼羅の現れでもあり、
その「現れ」は無心になって初めて形を成す。

その結果はさておき、易の基本には「陰陽」がある。
男女で言えば男性は陽、女性は陰。
であるからして、男性の道具を「陽物」といい、女性の持ち物を。
ということになるようだ。

「陽」の性質に立ち返ると、「物」を追求するのは、
女性からするとバカらしく想われることもあるかと想うが、
むしろ男性の自然の性なのであろう。

私も、そういう意味では本質的には「陽だらけ」の方だ。
堀江氏の過激な発言も、頷けることは非常に多い。
「陽が強過ぎる」とは、よく言われたことだが、
反面、タイミングよく「陰(精神面)」で女性に幾度となく救われている。

しかし、時代の流れを見やると「陽」の時代は転機を迎え始めた気がする。
それは女性の社会進出という「形」からではあるが、
その低層に流れている本質は「陰」への転化にある気がする。

元来、男性優位の社会・時代は当然ながら絶対ではない。
物質的な世界において、初めて男性は生来の性質を十分に発揮し得る。
しかし今、その物質的な世界での価値判断に、
諸所で「揺らぎ」が生じているのは誰もが感じていることだろう。

それは陽の化身とも言える堀江氏の発言、企業動向にも見て取れる。
「物」より「サービス」重視というのは、
陰陽の考えで言えば陽から陰への転換と言うことになる。

といって、急激に「陰」一様になるわけではない。
時代は、時に急変するようで、その本質は急変することはない。
やはり変化が目に見えるようなハッキリとした体をなすまでには、
一国内のことであっても数十年、世界的な規模では百年はかかると見てよい。

私はフェミニズムに興味はないが、そういう観点からの「女性時代」には興味がある。
我ら男性は、自らの雄雄しさを十分に発揮するだけでなく、
また女性は、自らの鋭い感性で野暮な男性をやり込めるだけでなく、
相互にパートナーとしての十分な敬意を持って接するべき時代になりつつあるのかもしれない。

2004年12月20日

こうさぎ虐待

ブログの言葉を拾い覚え、書き込みまでするという「電脳ウサギ」いや、「Blog Pet こうさぎ(多分の正式名称)」。
設置をしたはいいが、チラリと他で見かけた時に比べて「反応」が鈍い。

もしかしたら、私がトップ・ページが長いのがイヤで、本文と追記で分けてきたのが災いしているのかもしれない。
ということで、この文章(他も?)は本文スペースに一気に書いてみることに。
一方、改めて自分の書いてきた「文(?)」を読んでみたら、一応、文法的には大きくは間違ってないようだが、やはり一風、変わってるのかな?と笑ってしまった。

確かに改行の入れ方、句読点の打ち方、スペース、使ってる言葉の組み合わせは多少、会話で使用するものなどとは違う。
言葉を道具に、なんらかの感覚を表してみたいがために書いている文章が多いので、結果的に機械的に拾えなくなることもあるのだろうか?
ということで、この文章も出来るだけ丁寧に書いているつもりなのだが、「まっくぅさぎ」は覚えてくれるのだろうか?
もっとも、覚えて連呼されても困るような内容のものもあるのが、なんとなく情け泣けない弱み。

それにしても、こうさぎ「まっくぅさぎ」を虐待してる気になってきた。
電脳動物は、ポスペを例に出すまでもなくポピュラーになってきているが、まるでMatrixよろしき「あの気色悪さ」も併せ持ってるものだと再認識。
私は「生きてる」メダカとエビの世話に忙しいので、まっくぅさぎ君は自分で頑張りなさい。

と言いつつ、そのうち電脳動物愛護運動なんかが起きたりすることもなきにしもなかったりして、と考えると、笑っていい想像なのだかどうだか。