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2006年07月07日

身体喪失

kairouさんとの遣り取り、その脱線話を通じて日本(知識)人は「知性」を失った、というよりも「身体」を失った、というのが適切な気がした。
人は、いかなる状態にあっても身体を離れては存在し得ない。
(ただし空中に朧に浮遊している存在を除く)
このことは、知的作業と一般に言われるようなものでも全くに同一である。
近代における知の巨人、南方熊楠は、そういう意味でも本来的な知の在り方を直観か知性かによって理解していたという点でも偉大な人だったと想う。
続き、こちらにおります

2006年07月06日

極点の炎

極北の天はほむら駆け巡るという
まさにそのとき、極南の天にも炎は荒れ狂うという続き、こちらにおります

2006年07月02日

交わらぬ女体と男体

「男は女の道具だ」なる題にて書いた有名な小説家がいた。
そういう見方も出来る。
し、センセーショナルでもあり、
題を見、斜め読みしたのみながら巧く書いたものだとは想ったが、
あまりに実感に遠く、苦笑いするしかなかった。続き、こちらにおります

2006年06月27日

豊穣なる呪の世界

中学生の後期からだろうか、現代思想というのに興味を抱いて乱読した時期がある。
特に興味深く読んだのは記号論だろうか。
流行はやりということもあったかもしれない。
言葉、文字の魔力めいたものに魅かれたのは、その時期の経験も影響している気がする。続き、こちらにおります

2006年06月21日

夜の底

「夜の底が白くなった」(「雪国」川端康成)
綾:感覚を、奉ずるということ;横光利一と川端康成 - livedoor Blog(ブログ)より

川端康成はともかく、横光利一の記憶は既に私には遠過ぎますが、確かに新感覚派や新感覚主義という言葉は記憶に残ってます。
それを、やはり朧な記憶の川端康成から引いたとして・・・そして、風さまの解説(?)を頼りに考えたところ、いや感じたところを。続き、こちらにおります

2006年03月02日

神話の始まり

モノの本によると物語、ストーリーというのは既に神話時代に原型があって、後代のものは全て、その類型をなぞっていることになるらしい。
この「類型化」というのは、学問の基礎みたいな「分類学」に似て、誠に研究者らしい作業で、私は大嫌いです。
いや、自分がするなら嫌いではない。
人が類型化するのが大嫌いなのです。続き、こちらにおります

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性(さが)

>稲垣足穂の文学は、ムズカシイです(汗)
>男性的な思考で書かれているような…、その感じが似ていると思いました。
by kairouさん

多分、蒼穹の刃に寄せて頂いた御感想。
唸ってしまう。
この「思考・感覚の違い」というのは、何に由来するのだろう・・・続き、こちらにおります

2006年02月12日

あやかし。文字(もんじ)と戯れて。

こうして再度、書き始める前。
一度、書きたい想いを、ただツラツラと書き始めた頃のことである。
数ヶ月で書くことを止めた事がある。
いや、これからすらも、いつ途絶えるかは分からぬが。続き、こちらにおります

2006年01月24日

漆黒の風

今朝の風は、室内にいると、それと気付かないほど意外に強い。
唸り音をあげるほどの強さではなかったので、全くに気付かなかった。
窓外の電線の揺れが視界に入るまで。

風や空気というのは身近ながら不思議なものだ。
それらを直裁的に認めるのは難しい。
しかし「ない」とは言い難いし、あるのだろう。

彼らはいつも「そこにある」というよりも現象として自己主張するようだ。
電線や干し物を揺らし、現象を通じて、
「ホラホラ、フフフ・・・」
と不気味な意志を持って迫りくるあたりは、まるでホラア映画のようではないか?

ソレが希薄な存在であればあるほど、現象としての現れを求めるものなのかもしれない。
大抵の場合、希薄さに比例して現象に対する要求も煩いものだ。

現象がなくなれば、存在とは消えうせるものなのだろうか・・・

誰もいず、なにもない漆黒の中でも風は吹くのだろうか・・・

陽の光の中で干し物が揺らいでいる。
先程よりも微かではあるが。
干し物は、揺らいでいる。

2006年01月21日

言葉。喰らう、喰らわれる。

「太宰 vs 三島」ということすら考えたこともない私ですが、
御二人の著作は少しは読んだことがあります。
風さんの記事、そしてコメントで、少し想い起こしたことがあります。

>太宰はこの心根、ほっと出た言葉を綾織ってゆく。三島はそこからその言葉に肉付けをする。 by 風さんコメント

文学というか文章を書くというのは、もちろん、言葉の作業である。
と、想いたい所ですが、微妙に「言葉の作業」の中身が違うことがある気がするのです。
一言で言うと「言葉を喰うか、喰われるか」。

私が多少の嗜みを持つ分野としては音楽と武道などが挙げられるでしょうか?
どちらも言葉とは本来、縁遠い世界です。
しかし、それらの世界の何とも賑やかな言葉のネオン。
まるで深夜の歌舞伎町(は今も昔のようなのかは知りませぬが 笑)。

仏教には「拈華微笑」という言葉があります。
言葉を越えたコミュニケーション・・・
音楽も武道も、言葉では伝え切れないものが多くあります。
それを敢えて言葉にすることはあるのですが。

では「言葉を使う」のが性である文学の世界ではどうなのか?
そこに「言葉を喰うか、喰われるか」の違いがあるような気がしてきました。
今までは小説家を含めて文筆活動をされている方は、
 言葉を使いこなす人=言葉を喰らう人
と公式的かつ無意識に想っていたようなのですが、その心象は、少々、違う色合いがあるのではないか、と。

「言葉が独り歩きする」
とは、よく言われることですが、これは自分が発した言葉が受け手によって異なる、という意味で使われることが多いようです。
小説家などは自然と登場人物が動き出す、という書き方をされる方もいますが、それはまた別として。

小説を「全体として」一つの作品として構築していこうとした場合、
それは何かしら建築作業と至極、似ている作業に想えます。
私が、そういった手法の良し悪しを論じる立場にないことは当然です。

ただ、言葉が構築材料となっているように感じるときと、迸る言葉が見えない姿を朧に立ち上げるように感じるとき。
いずれかを好むか?
と訊ねられれば、私は間違いなく後者の言葉を好みます。

言葉そのものが生々しくも荒々しい生き物に感じるとき、私にとって、それは記号的な言葉というよりも、
何かそのものが得体の知れぬ生物のように感じられて好きなのです。
その向こうに「作者」の存在は不要でして。

あたかも赤子の泣く声のような・・・

そこに意味はあるのか、ないのか。

言葉を喰らっているのは誰か?
言葉に喰らわれているのは誰か?

ぼんやりと、私が何を好んでいるのか。
少し見えてきたような気がします。

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2006年01月19日

飲んだ朝でして

御一緒させて頂いたのは久方の同席、日頃、尊敬する方でして。

のわらりには、昨夜は昨夜ですっかりと飲んだくれまして。
今朝ほどは文句の一つも顔に出さない女房に生かされてる幼子でして。

風さまの「爛熟」は酔い頭にはキツイかと想いきや、これがまた。
自己に沈潜したマグマが言葉になって噴出した世界は、かくも、と夢中になって読んでしまったのです。



しょせん、人は食って寝て糞して草葉などと想っておりますが



想ってはおりますが、何ゆえ、こうして骸にしがみ付いているのか、と。
テレビでキンキン声を張り上げている、かの女性は現実なのでしょうか?
私は爛熟に、いや、爛熟こそが現実と感じるのです。

おもいおもわれふりふられ・・・

世の中はすれ違いの隙間に本当の姿を見せるのかもしれませぬ。
ならば、と答える何物もありはしませんが。
あっしも好きにやっていきたいもんですね。
こうして白昼夢を見てるより、大事なもんがあるような気がするんですよ。

飲んだ朝でして

ちっとは目が覚めたのやもしれませんね

2004年12月26日

平凡な人の平凡な生活

モノを書いたりしていると、
どうしても非日常を書きたくなることがある。
実際、非日常的な状況下では
人の本性めいたものが浮き上がるかに想える。

しかし実際はどうなのだろう?
人に潜む残虐さ、身勝手さ、ずるさ、醜悪さ。
人に潜む優しさ、労わり、高潔さ、美しさ。

それらはきっと、平凡な日常に現れている。
確かにエンタアテイメントとしての面白みには欠けるやもしれないが。
批判を余所に長寿を保っている某TVドラマの人気の理由は?

一昔前には、純文学は大衆文学に勝るかのような錯覚をしていたこともある。
純文学と大衆文学の違いも知らぬのに。
いや、違ったとしてなんの意味があろうか。

何をどう書きたいのか?
その動機は書き手に委ねるしかないが、
きっと何処にでもある、見かける些事にこそ書くべきものを見出したい。

そんな傲慢さこそがいやらしいことは承知の上で、
平凡なソコに、人の世の素晴らしさ、寂しさを見取れる人でありたい。
きっと、そんなところに徒然の落書きの意味もあるような、
そんな気がするから。

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言の葉朽ちて一人

災害が多いと「頑張って下さい」の言葉が舞う。
たれぞと言わず、物言うだけかとの言葉も舞う。
それはそれ、どちらの言い分も分かる気がするような。

鬱や、ある種の強迫観念に駆られているときは、
「頑張れ」というは、禁物という。
本人をより切迫するから、ということらしい。

しかし、言葉の元を辿ればニュース・キャスターが無表情に
原稿を読むだけとは事情が違わないだろうか、とも想う。
いや、ニュース・キャスターでさえ無表情だから、かとも。

人にして最大の恐怖の一つは、孤独であるという。
確かに一切の人との交わりを絶たれれば、
それだけでもさほど時をかけずに気狂った面持ちにもなるもので。
口先だけの言葉もて、人に触れるだけでも狂喜せんこともなく。

その言葉の発する元に触れることなぞ出来はせぬのに、
この種の論は不毛であろう。
そも言葉なぞ、かように朽ちてしまうものなのだと想えば憐れなものだ。

ムツカシイ記号論やら何やらを持ち出さずとも、
言葉の持つあの憐れさは、皆、心しているのです。
心しても、発せずに居られず「嗚呼」と嘆くのです。

嗚呼、と嘆かんために言葉を作ったわけではあるまいに。
それでも言葉果て嘆くのです。
一人切りの寒空に、嗚呼と嘆くのです。

いつか貴方と言葉交わせることを夢を見て。
一人切りの寒空に、嗚呼と嘆くのです。

抱き合えば、交じり合えばと想えども。
つまるところはこうして一人切り。
寒空に、嗚呼と嘆くのです。

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2004年12月24日

想い模(かたど)りて

人は、それぞれに形に現れない「想」を、これほどかと抱えている。
想は形を求めるが、その「道具」として与えられたものの一つが言葉。
怒り心頭に至って引っ叩くのも、想が形に現れたもの。
想は、体を借りて形として生まれ変わる。

想は、本来はそのまま想のまま静かにしているのが幸せかとも考えることがある。
想い耐え切れぬ「現われ」は、必ずしも想に合致しない不器用さを露呈するからだ。
そう考えると、言葉のなんと不自由なことか。

「万余の人中に、荒野に人無きが如く」とは武勇・英雄に良く使われるが、
万余の人中に、荒野に我無きが如く。
かかるような人にこそ、誠が宿るのではなかろうか?

とすると言葉なきままに生きる術を探したくもなるが、
想を想のままにしておくことは、
ある意味、特殊な訓練が必要で、通常は立ち入るべき域ではない。

やはり、考え過ぎずに想いそれぞれを形に乗せて人生を綾作り、
それでも想ったようにならず不器用であっても、
「人生、楽しかったではないか」と感じれれば良いのではないかと。

悪戯な模りは、むしろ醜悪でしかない。
況や、赤想なき形なぞ塵芥にも劣る。

最近、少し書き物をしているせいか、
「言葉」について考えることがある。

私の書き物というは、あくまでマスタアベエションなのだが、
やはり言葉は人と人を繋ぐために作られたのだから、という忸怩たる気持ち。
しかし言葉の持つ不自由さ、歪さ。
いや、扱う自分の不器用さ。

「愛しい」と言葉にすれば、それだけでしかない想も、
その「本体」は、ただただ我が子を抱き見る母の眼のようなものであろう。
そこから発離して抱きしめてしまうところで彼我は分かれてエゴに育ち行く。

しかし、きっと、そうではないのだ。
人に宿る模らぬ赤想に、静かに思いを巡らす時があっても良いのかもしれない。

まっく記 at 16:04 記事全文
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2004年12月18日

広告メッセージと音楽

先日、HMVのクラシック・コーナーに行った際に感じた違和感を自分なりに整理。
陳列を見ると、私でも知っているような「メジャー」な演奏者のCDは、やはりズラリと並んでいる。
一方、僅かながら「この演奏者はあるだろう?!」という期待は、かなり無残に裏切られた。

商業主義が悪いとかいうつもりはない。
私も商売をしているから、お金になるものはしたら良いとは思う。
そこで、ちょっと逆説的(?)に考えてみよう。

莫大な資金が投入されるTVコマーシャル。
結局、目指すところは「自社商品を買ってね」ということであり、そのメッセージを届けるために、色々と意図・企画される。
当然、BGMも「メッセージ」の効果を上げる「モノ」という選択をする。

ここで一つ。
優れた音楽は、それだけで他の情報を必要としないパワーを持つ。
勿論、それは楽曲や演奏者にもよるが。
とすると、音楽のパワーが余りにピュアで強烈だと、本来のメッセージ効果を薄めてしまう可能性がある。
これは広告主としては絶対に避けるべき状況。
一方、音楽に付帯して視覚に訴えられれば活用しない手はない。

今頃、気付いたのか?
と問はれれば、そんなこともありませぬが、店頭に並べられたCDを改めて眺めて、寒々とした気持ちになるだけで御座ゐます。
クラシックなどの裾野が広がることは、それはそれで喜ばしいことではありませう。

しかるに、ジャケトを買ひに来る客、況や女性演奏者を自慰道具にでも使わんかのやうな客といふは、音楽界の顧客戦略上いかがなものでせうか?と。
もっとも、商売的には何にであらうと利用されてナンボといふ考え方も御座ゐまするな。

まっく記 at 22:22 記事全文
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2004年12月17日

インストー 混]り[乱 ング

文章に限らないのだが、人は多少なりとも見聞するもの、
環境から色々なものをインストールされる。
インストールされたものは、再度、何かの形でアウトプットされ、
さらなるインストールを描いて。

理路整然、矛盾のない一個の構築物。
人は「一つ」でありえるのだろうか?
重層的に現れる混濁した「私」。続き、こちらにおります

まっく記 at 23:37 記事全文
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2004年12月16日

言葉の壁

少し実験的に書いてみたい、と想っていたが、
「あ、無理だ!(多分)」
と想って思い切り笑ってしまった。
何を書こうとしていたのか?続き、こちらにおります

まっく記 at 23:54 記事全文
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2004年12月15日

感覚器の役目、言葉の役目

「やってしまった・・・」

いいな、と想う文をブログで見つけた時に、
「この作者って、どんな人?」
と想った瞬間に感じる自己嫌悪。
せっかくに作者不詳の文を見れるというのに。続き、こちらにおります

まっく記 at 20:57 記事全文
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未来予報

未来を予報出来る技術が開発されたとしたら、どんな使い方をしたら良いだろう?
若人は恋心寄せる人との未来予報?
高齢になったら、やはり死に時の未来予報?続き、こちらにおります

まっく記 at 17:56 記事全文
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昨日も今日も明日も

何とてするわけでなく日がな過ごし。
見たとも聞いたとも、なんとでもなく。続き、こちらにおります

まっく記 at 17:28 記事全文
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2004年12月14日

脱糞と浣腸と

表現対象と表現者と表現結果と鑑賞者。
表現結果は常に表現者と鑑賞者の間で揺れている。
語り尽くされた「メタ」。続き、こちらにおります

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2004年12月02日

商売と書く作業

今日は一日、シンドかった。
ここ数日、多少なりとも「書く」作業をしてたせい。
続き、こちらにおります

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2004年12月01日

管を巻くよな脆い硝子の優しさヨ

昨晩、風さんが中也に触れた文に触れ、久し振りに読んでしまった。
といえば、いつもの通り、またショックを受けて仕事もロクせず寝込んでおりました。

中也を読んでは詩めいたものを書く気力さえ萎え。
誠に困った御仁で御座います。
せめて、寝込んでも生きるに困らない仕事に就くに至った僥倖を喜ぶか。
続き、こちらにおります

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2004年11月30日

誰もがすなる好き嫌いといふもの

武士「道」については、よくは分からない。
好きな方にお任せするに如くはなかろう。

しかし「武士」というのは、本来、人を斬殺するもの。
それが私の「武士観」だ。
武士(もののふ)に対して「文士」という言葉がある。
続き、こちらにおります

まっく記 at 22:43 記事全文
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三者論比 読書作法?

風さんが「カフカ-安部-村上」という三者比較で悩まれているという。
なぜか大して本を読まないはずの私は、この三者の作品を読んだ「過去」がある。
続き、こちらにおります

まっく記 at 17:20 記事全文
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2004年11月29日

天深く

言葉は、たった一つでも不思議な気配を見せてくれる宝石のようなものだ。
一つ一つの言葉が組み合わされると、そこには見たことのないようなジグソーが出来上がる。
さらに文章は立体的な迷路や城となり、宇宙をも垣間見せるかのようにおぞましい幻想に誘う。
続き、こちらにおります

まっく記 at 15:33 記事全文
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