2006年07月09日

浮遊する死の隣の怪人:美城×まっく

高校時代、私が足繁く通った一つは地元の古本屋であった。
当時、剣道部に所属、激しい稽古をしていた私は大食漢で有名だったが、
昼食を抜いて小銭を貯めては買う一冊、一冊を貪っていた。
成績は、当然ながら芳しいものであるわけはない。

ある秀才の友人には、私の行為(?)は余程に不思議だったらしい。
とにかく一日中、黒板に目を向けることなく、飽かず濫読を繰り返す私に「何を求めているのか?」というような問いを何度も発したことがある。
とにかく私も、何かを知りたかったのは確かだったのだろうが、そんなことが分かっていれば読書などしないのかもしれない。
今となっては、そんな気もする。


青年期である。
「太宰」は一つの象徴的存在として、そこに、いた。
最初に読んだのは「人間失格」だった記憶がある。
続けて数冊。
以下は熱烈な太宰ファンが多いことを承知で書いたものである。
愚駄物陳列罪で処断されても文句は申しませぬ。

さて太宰の名を冠するもの、誠に不思議な作品達だった。
太宰が何かを書きたいようだ、とは強く感じるのだ。
だが同時に、その文章は「こんなもの、書いても読んでも詮無いものですよね」というメッセージにしか感じないのだ。

彼について少し調べて、いくらか腑に落ちたことがある。
太宰の自殺(未遂)は「カルモチン」という睡眠薬によるものらしい。
この「カルモチン」を続けて調べていくと、太宰の弟子、田中英光の名前が出てきた。
坂口安吾の田中評故である。
安吾によれば、カルモチンを酒の肴に飲む田中は、余程に信じ難い存在だったらしい。

「おい、おい、安吾??」
ここでは睡眠薬に限って書くことにしよう。
睡眠薬というのは、ある種の体質の人間には、ほとんど効果を発揮しない。
それは必ずしも珍しいとまで言える体質でもないのだ。
実際、自分が飲んで、即、眠くなるからといって、全ての人がそうだと想って書くとは馬鹿にしているのか、ふざけてるのか。

さておき、この系譜(?)を再度、遡って、もしや太宰は「そのこと」を知っていたのではないか?と。
そして北国出身の彼が都会で見たものに、そもそも「現実」などなかったのではなかろうか?
とすれば、私が太宰に感じた不思議な印象も少しく明確になってくるというものだ。

太宰からすれば「そんな書き物」が売れれば売れるほど、あるいは衆目を集めれば集めるほど、これほど馬鹿らしいことはない、ということにもなろう。
して・・・彼の自殺に付き合って命落とした人が少なからずいることからすれば不謹慎極まりないのだが、太宰にとっては馬鹿らしい「嘘という都会現実」に倦んで、黄泉に浮遊する気分でも味わっていたのではなかろうか?
確かに最終的に太宰は自ら死した。
しかし、彼が本当に死んだのは「都会に出てきたとき」なのかもしれない。

話は飛ぶが、同じく高校時代に読んだ中国史もの。
これらが、いかんせん厄介であった。
史実に基づいたものでも、孫悟空の話と大同小異にしか感じないのだ。
いや、日本の戦国物でも、規模は小さいが同じようなものだ。

多少の時間をおいて、少しづつだが「これはもう、このまま読むしかないな。」と諦めた。
隣国と言えば聞こえが良いが、地球儀やら地図を眺めてみると「気安い隣国」などでは、とても有り得ない、と想った。
「ちょっとした行軍」の、あの馬鹿げた移動距離、移動期間は、一体、なんなのだ?

彼国の英雄、関羽の用いていた青龍刀は、一説によると80kgはあるものだったという。
それを軽々と戦場で振り回していた雄姿は、多くの作品にも描かれている。
「誇張だろう」と言うのは容易い。
だが、彼らの行軍の行程を省みてなお、同じことが言えるであろうか?
その行軍の長に、厳として君臨した武人である。
そんな怪物が「いる」方が自然ではないか?

さて、この二つの話。
なんの関係もないわけだが、私にとっては同列に話したいことなのだ。
一方は「現実めいた嘘」の話、一方は嘘みたいな現実の話。
単純至極に過ぎるが、裏返せば同じことを見ているような気にもなってしまうのだ。

日本にも怪物はいたし、今でも、いる。
そんな怪物に、黄泉した太宰は、どんな顔をして会っているのか・・・
いや、太宰ではない。
太宰と根を同じくするものを持っている日本人は少なくなかろう。
私も、そんな一人に違いない。

黄泉の国に行ってまで呆けた顔を晒すことになるのか?
そんなことを想うと憂鬱で、まだまだ安心して死ねそうにはないのである。

「本を読むのは、多少はマシに死に逝きたいからかもしれねぇなぁ。」

友人に同じことを聞かれとき、こんな風に答えたら気障なだけだろうか?



「まっく×美城」その太宰治「消え去らぬ抒情」

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この記事へのコメント

1. Posted by 美城丈二   2006年07月10日 06:18
「本を読むのは、多少はマシに死に逝きたいからかもしれねぇなぁ。」
・・・・・まっくさん、お察しの通り、僕は完全なる理想主義者です。恒にこのこころ、理想郷に近づけたいと腐心しますので、その為に日々一読、そうして書くという行為を連ねます。翻ってそれはやっぱり、僕の肉体が消滅するとき、「ああ、俺の人生もまあ、悪くはなかったんじゃあねえの」と想いたいから。つい最近、僕はお付き合いしていた女性と別れました。これはまさに僕の理想主義者としての弊害に拠るもの。つらいもんです。ほんにさめざましい。けど、仕方無い。僕には僕ではなければならない何かを、僕自身が求めているから。そこに連れ立ってきてくれない異性と今後も平易に付き合っていけるかと言えば、「付き合っていけるわけねえじゃん。」
 
2. Posted by 美城丈二   2006年07月10日 06:19
この世は、哀しいかな、まったく、僕の想う通りにはいかないなあ、・・・・・・・・嗤ってください。別れたあとひとしきり、泪した僕の頭の中には「もはや読み書きしたい」衝動など露ともなかった。つまり、それは普段、読み書きしている僕であったればこそ、でしょう?。僕はまた読み書きをしばしののち、始めました。それはきっとこれまでの繰り返しの僕を知りたいのではなく、これからの新しい僕を知りたいためだけに。ご心配なく。僕は、またこの世にけれど吼えたいです、この意気があるかぎり、僕の理想は朽ちません。丈
3. Posted by まっく   2006年07月10日 12:44
丈さん、こんにちは。

男ってのは、女を前にすると難儀な自分を持て余すこともあるようなヤツなんじゃないでしょうか。
私も、こんなことを書いたり、感じたり、です。
http://blog.livedoor.jp/mak00kam/archives/9949829.html

そんな時は、一杯、引っ掛ける位しか、私には能がありません。
丈さん!
綾見さん交えて、いつの日か、芋焼酎でもやりましょうや!!
http://blog.livedoor.jp/mak00kam/archives/50406606.html

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