2006年07月04日

銀河鉄道の夜

今まで、こうしてツラツラ書きながら、何故に考えもしなかったのか?とも想ったのですが、私の読書人生(?)は至って変わったものだったなぁ、と再考。
機会を与えてくださったのは、そう、丈二さん

私の読書というのは全く私的な作業というか「ただ好きだから読む」という典型で、人とあれこれと論ずる、あるいは自分の作品に活かそう、などということは全く考慮に入っておらず、たまに自分が読んだ書や作者の話題になれば加わることもある、という程度のものです。

いや、多くの読書好きは、そういうものかも知れません。
ただ一点、私は「書く」という作業も好きではあったのが、改めて今の自分を省みて不思議なことをしていたものだ、という気がするのみ、なのかもしれませぬ。

お恥ずかしながら高校時代。
一度だけ、将来、作家になってみたいものだ、いや、物を書く仕事をしてみたいな、と想い付いたことがあります。
当時の国語担当の先生が「作家の勉強量は半端じゃない。受験勉強なんて遊びにもならない。」というようなことを仰られたことがあり、その程度で儚く消え去る程度のものではありましたが。

手当たり次第の濫読ではあったものの、小説に関して私の好んでいたのは何故か純・大衆問わずの明治〜昭和初期の文学と海外文学で、今、振り返ると懐かしい想いがします。
小難しい本も多く読みました。
折々のベスト・セラーや話題作にも手を伸ばしました。
それらはそれらで、何かしらを心に残して。

ただ、今になって想うと私の読書、いや私と文芸の間を結んでいるのは「銀河鉄道の夜」だという気・・・いや「銀河鉄道の夜」なのです。
あの宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」です。
小学生来とはいえ、数度しか読んでいないはずの「銀河鉄道の夜」。
それ以上に繰り返し読んだ本ということであれば、他に多くあるというのに。
文章を書くことなどに影響を及ぼしただろう本も作家も、他に多くあるだあろうというのに。

私にとって「銀河鉄道の夜」は文芸というジャンルにおける一種の奇跡と言っても過言ではないかもしれません。
「こんな文章が書けたなら、それはどんなに素晴らしいことでしょう。」
一読して、幼い心に、それはそれは強く、美しく、儚く・・・訴えるものがあったのです。
それから30年以上。
多くの読書を経た今も色あせないのは、ある意味、それ自体も奇跡的なことかもしれません。

少しく後年に読み知った中也でさえも、実は私の中では「銀河鉄道の夜」の、ほんの一切れでしかないのです。
それどころか、賢治の他の作品すら、大して好まぬものも少なからずあるのです。
もちろん賢治に対する評論、評伝の類も多少は目を通していますが、大した興味も湧きはしませんでした。
賢治が、この作品を通じて何を訴えたかったのかすら大して興味がありません。

ただ、ふと今、こうして書いていて想ったのは、もしかすると私は・・・
ジョバンニとともに、いや、ジョバンニになってカムパネルラを想い生きている側面があるのかもしれません。

また「銀河鉄道の夜」、読みたいな。
そしていつの日かで構わない。
満天の星の下、サウザンクロスを見やりながら読んでみたいな。

きっと私は、あの銀河鉄道に今でも乗り続けているだけ。

なのだと想うのです。


『まっく×美城』潜在的ファン・夢のコラボそのゝ楝賢治「父性的な、あまりに父性的な」

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この記事へのコメント

1. Posted by 回廊   2006年07月06日 11:52
もの書きの方々は、みんな宮沢賢治を褒めます。
勉強不足の私も読まねばと思い、開いてみますが、またもや「お、男っぽい(汗)」で弾かれてしまいます。私の女好きは偏りすぎてほとんど病気ですね。ちょっと羨ましい感じがしました。

ときめく、愛する書物が、1つか2つあれば、じつはそれで満ち足りた読書生活と言えるのだろうと思いました。

2. Posted by まっく   2006年07月06日 14:03
回廊さん、こんにちは(^^)
賢治の作品は、好き好きが分かれる面もあるようですよ。私の女房など同郷のくせに嫌いだ、と言い切ります(苦笑)。
女性は苦手な方が多いようにも感じます。

>ときめく、愛する書物が、1つか2つあれば、じつはそれで満ち足りた読書生活と言えるのだろうと思いました。

そうかもしれません。
私も、この記事を書こうとしていて「あ、そっかぁ!だから、こんなところをウロウロしてるのか!!」と想い至りました。今頃、気付くなんて・・・ニブッ(爆)!!
3. Posted by BlogPetのまっくぅさぎ   2006年07月06日 15:52
ネットで丈二などを読書すればよかった?


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