2006年06月30日

ひとり都のゆふぐれに

「ひとり都のゆふぐれに・・・」

回廊さんの記事を読んでいて、鹿児島の祖母、そして室生犀星の詩を想い出した。
「異土の」で検索したら綾見さんのブログが。
不思議なものです。

私は、厳密には郷里を持っていません。
父方の血族こそ鹿児島は知覧の地に根を下ろしておりますが、
15で鹿児島市内に出た父は高校を卒業するや上京し、今の私を持つに至ったわけです。
それでも、やはり私にとっての郷里は鹿児島です。

幼少の頃、未だあったブルー・トレインで鹿児島帰りをせがみ、
朝に車窓から仰ぎ見た桜島は、やはり自分の郷里の象徴であり続けているのです。
鹿児島のお国ことばは難しい。
当時、方言付き貯金箱を買ってクルクル回して眺めては、
「こういう時はどういうの?こんなときは?」
と父に聞いた記憶が懐かしく想い出されます。

祖父母は生粋の鹿児島人で、郷を出たことさえ数えるばかりだったでしょう。
お国ことばで交わされる会話は、私と同世代の鹿児島の従兄でさえ「聞くだけなら」
という笑い話があるくらい、宇宙人の言葉でした。
それなのに、私や母、妹に対しては綺麗な標準語で話したものです。

後年、父母は祖父を先に亡くした祖母を引き取りましたが、祖母は日がな読書に明け暮れていたものです。
なぜ、そんなにも、と想うこと頻りでしたが、聞けば祖母は当時の女性ながら学問好きで、成績も愧じないものだったとか。
祖母の幼少期の鹿児島は、今の時代には想像出来ない男尊女卑が厳然とありました。
「女に学問はいらん」と言われ、下手をすれば鉄拳が降る中、昼は野良仕事や兄弟の世話に追われ、乏しい光を頼りに本を読み続けたと聞きます。

男でさえ、私の父が「成績優秀だから」と中学校教師が強く勧め、ようやくに郷でも初か、と、ようように高校に進学出来た土地柄です。
鹿児島は、今も昔も貧しい国です。
雪国とは違う貧しさが、鹿児島にはあったのです。
スラスラと現代の本を読み進めていた祖母は、なんと驚くべき存在だったことか、と。
それも恋愛モノを好んでおりましたから、なんともハイカラというかメルヘンというか。

勉強している姿など見たことがない孫の私が同年の親戚に比較され、どうも芳しくない、と言われては憤激していたという祖母。
そこそこの進学高校に合格した時、そして郷里の者が知るに及んだ時、折々に、それは嬉しげだったそうです。
私には、そんな素振りはチラとも見せなかったのに。

苦労・・・と一言で語れない経験をくぐり抜けてきた祖母は、どんな想いで私を見ていたのでしょう。
自ら好んで語ることなく静かに微笑んでいた想い出からは、なにも想い浮かびません。

ただ一つ、もう少し長生きしてくれていたら、とつくづくに想ったことがあります。
それなりの大学に進学するに及んだことを、祖母に伝えられなかったこと、です。
生来、不精な私が周囲の無理という声を撥ね退けた陰には、高校進学時の喜びようを聞かされたことが、やはり大きく影響していたかとも想うのです。

「その想いは届くと想うよ」
仲の良い嫁であった母は、私をそっと慰めたものです。



ひとり都のゆふぐれに、私の郷里の山灰は、力強く立上ります。

 あんたの時代は私らの時代とは違うんだから
 悩むことじゃないよ
 あんたの父さんも母さんも頑張った
 あんたは、あんたで頑張りなさい

やはり私は、いつかまた、鹿児島に行きたい。
今でも、そう想うのです。

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1. 『さつよ媼おらの一生、貧乏と辛抱』 石川純子  [ Doors open at 10 p.m. ]   2006年06月30日 22:16
おらは生まれたまんま 九十六になっても生まれたまんま なんじょに学校しないもの だから話をするたって、まっすぐに正直に語るの 嘘の語りようも知らないもの

この記事へのコメント

1. Posted by 回廊   2006年06月30日 22:14
根っこを生やす場所が欲しいですよね。どこから伸びていけばいいのか分からないし、迷うとき、どこを手繰っていけばいいのかも、分からないから。血筋なんて、根拠のない古くさい話だって言う人もいるけれど、そうじゃなくて、亡くなっても尚も生きている「根っこ」のことなんです。

かわいがってくれた鹿児島/おばあちゃんの思いが生きて、まっくさんを元気づけてくださっているのですね。とっても良いお話でした。
2. Posted by まっく   2006年07月01日 08:34
回廊さん、おはよーございます。 「根っこ」の話、そうなのかもしれませんね。私は母方の祖父母が親知らずの育ちなので、その語りを継いだ人達の話を聞きながら家系図を作ったことがあります。母は喜びましたね〜。 私自身はデラシネだと想ってましたけど、無意識に地下に伸びてたのかもしれません。
3. Posted by 綾見由宇也   2006年07月01日 20:46
まっく様、あなたの情念が私に新たなる息吹きを与えてくれます。いつもいつも、私の拙い文章体を取り上げてくださって、ほんに有難うございます。・・・・・
 さて、私の古里は、申すまでもなく鹿児島、です。霧島連山の麓に生まれ、私はそこから東京に出でて、実父の病に倒れたのを契機に、再び故郷に帰ってまいりました。私は人一倍、観念が強いので、様々な壁に弾かれ、実際、飲まず喰わずのときもありました。たとえうらぶれて異土のかたいとなるとても・・・誠、苦しい想いのときがありまして・・・今回、まっく様のお言葉を拝見させていただいて、なんだか、胸が熱くなってしまいました。
4. Posted by 綾見由宇也   2006年07月01日 20:47
ひと、それぞれの人生です。華やかなりしものばかりが人生ではないと想います。私の祖母はまだ生ある身ですが、その息子である、我が父はもう居ない・・・。だが、その父の為にも私は今一度、自身を省みて生きたいと想います。

  汚れつちまつた悲しみに

 我が敬愛して止まぬ中也の詩をまっくさんに贈ります!!、回廊様、おっしゃる通り、ほんに良いお話しでした。いつの日にかあなたの郷里、知覧で焼酎、いきますか?‐「まこち、良か話し、じゃった。おや、泪が出えごちゃった(薩摩弁)」ハハハッ。綾見由宇也
5. Posted by まっく   2006年07月01日 23:05
綾見さま、こんばんは。
「異土の」でGoogle検索すると、おや、綾見さんのブログ!
不思議なものですね、本当に。異界の三人、地獄で遭わぬよう祈りたいものです(笑)。
不思議に覚えている祖父母のあれこれ、鹿児島の、母方の新潟や赤羽の想い出・・・いずれもが、私を有るべき様に誘ってくれている気がします。
中也に負けぬ想いだけは抱いているのが人たるもの、と有り難く頂戴致します。
知覧もまた、霧島連峰に並び美しい里です。祖父のトラクターの荷台に揺られ連れられた茶畑から見た薩摩富士、廃線に咲く鮮やかな菜の花、灰土をものとしない逞しき緑・・・
いつか芋焼酎、是非とも御一緒致しましょう。

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