2006年02月28日

癒されて、安心して、どこへ?

当ブログも参加している人気ブログランキングを上から訪問。
つらつらとブログを見させて頂きながら少し驚いた。
未だに癒し、安心・・・そういったジャンルの方が多く、また求められているらしい。

勿論、それが良い悪いということに触れるは、お前(私? 笑)の勝手なので控えておくとして・・・
「気味悪い」と書いておこう(同じか 爆)。

癒され、安心した落ち着いた気持ちで過ごしたい。
これは当たり前といえば当たり前の気持ちではあるのかな。
だから、人は、というか、大人は、と敢えて言いたいのだけど、働くし、時に嫌なことも我慢するということもある。
でも、この時の働く、我慢する、というのは自分の癒しや安心のためじゃないんだ。

大切な伴侶だったり、子供だったり。
そんな色々なものを抱えてれば闘うしかないんだよね、結局。
あまりにその事に繊細だった先人の中には、それが故に流浪の身にやつした、という例にも事欠かない。

でもね、それは、大人として流浪してたんだと想う。
だからこそ、今でも闘う人達が心寄せるんだとも。

自分の癒し、安心を求めることを否定はしない。
私も、そうありたいと想うから。
でも逃げられないことは逃げられないということに気付いて覚悟したほうが楽だ。

癒されて、安心して、どこに行ける?

癒しもなく、安心も出来ないココだから、羽ばたくしかない。
羽ばたくからドコカに行ける。
でも雛の翼には、そんな力はない。
そんなこともあるんじゃないかな?
私は、少なくともそう想う。



我々の翼は、希望よりも絶望に宿るのかも知れない。

アノ頃、希望に燃えていた翼は、今、羽ばたく力を持っていますか?

嵐海の闇夜を渡る力を持っていますか?

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この記事へのコメント

1. Posted by kairou   2006年02月28日 12:50
癒しって、もっと本気の癒しだと、いいと思います。
でも本気の癒しというものが、あるとすれば、それはやっぱりココに戻ってくることだろうと。
時間の無駄、どころか、結果的に、もっと傷つくことになり、私はハンパな癒しをとなえる人々の、その詐欺行為に(弱みにつけ込んでる)悲しくなります。
とても、とても、共感できる記事でございました。
まっくさんの想いが伝わってきました。
2. Posted by まっく@昼飯食います   2006年02月28日 13:16
kairouさん、こんにちは。
詐欺行為も自覚がある内は良いのかもしれません。
自覚がない詐欺行為の方が、とも。
いつもコメント、有難う御座います。

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