2006年02月21日

斬影−封剣(1)

足場の怪しい険しい岩場を、黒影が音も無く飛び交う。
居所を岩場に転じた大柄のムササビが、魔物と化したかのような身ごなしの主は、篠輔の言を頼りに進む弥平であった。
彼は大柄ではあったが、動きは決して鈍重ではない。

目指す宿場は道違いのため、彼は身軽さに物言わせ、峰越えして行くことにしたのであった。
山伏すら滅多に足せぬような岩山も、彼にとっては池の小岩を飛び歩く程のものでしかない。

本来、剣は速さを尊ぶものである。
篠輔は、そのことを知っていたがために、弥平の諫言を快く聞き入れたのだ。
(久し振りに剣を交えた気がした・・・)
弥平は篠輔との出会いで荒んだ心に少しく明るさを取り戻していた。

やがて山並みを広く見渡せる峰先に立った弥平は、さすがに額には汗を浮かべてはいるが、息は大きな乱れを見せない。
しかし、彼の姿は異形であった。
軽く手を添えている両腰、その左腰に大小を携え、右腰に木剣を携えているのである。
彼は右利きである。

座するに丁度良い岩場に、弥平は大小と木剣を丁寧に置き、握り飯を取り出した。
握り飯を頬張りながら、己の「抜かずの剣」を眺めていた。
彼が大小を携えつつも手入れ以外で抜いたのはいつになろう。
(いずれ、無剣を目指すのだ・・・)

そう想ってはみても、やはり、こうして大小を目にすると複雑な想いを禁じ得ない。
弥平は剣術をこの上なく愛してはいたが、人を殺傷することを好むことは出来なかった。
篠輔との立会い同様、立会いにはもっぱら木剣、時に竹刀でしか臨んではいない。
いかに「にくし」という相手と言えども、彼自身が真剣を抜くこともなかったのである。
腹に据えかねる性根の持ち主も多かったが、少々、打ち据えるだけで「一月もすれば」という以上には至ることもなかった。

弥平は、それが故に不安になることがある。
真剣を抜いて立ち会えるかどうか、がである。
斬れる剣を抜いてない、という域に達しているとは、彼自身、全くに想えなかったからである。
斬れぬ剣をいくら振るっても、それは鉄棒を振り回しているに過ぎない。
今の弥平の剣こそ、まさしくソレであることを、彼自身が誰よりも知っているのだ。
そして何より、弥平は自分程度の者を打ち負かす者に出遭えぬことに、苛立っている。

(紅秋先生の剣の域には、もう至る術はないのか・・・)
脳裏に師の姿が浮かぶと、彼は、ただ剣を愛することのにみ、彼は闇雲に衝き動かされるのであった。
それでも彼は、やはり真剣を抜く気にはなれなかった。
旅路に出てすぐの記憶が、彼の手から消えぬのである。

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