2006年02月19日

斬影−庵に(2)

(ふん・・・斬れぬ剣ほど喋るものよ・・・)

如何ほどの場数を越えてきたことか、見つめる弥平の手は節太く、剣術家というよりも野良仕事に明け暮れたもののようである。
しかし、ろくに剣も握らぬままに御託だけは大層な名人の数々が、この野良手の下に呻いたのも事実である。
その自負こそが、数日後に脂汗に変じることになったわけだが・・・

彼の立会いを知るのは彼自身と彼に相まみえた者のみ、である。
彼は、それについて吹聴するようなことは決してなかったし、そもそも名利などには無関心な性質であったし、剣をまみえた者も、勿論、口外などするはずもない。
密かに剣術家達の間で弥平の名前だけが畏怖とともに知られているのみである。
だからこそか、下した剣術家達の手の者の追及も左程はない。
泥棒でもなかろうに、追い銭よろしく渡されたソコソコの包みが、彼の旅の糧であった。
もっとも、今のように耳障りに響く声すらなければ、彼は単なる流浪者で終わったかもしれぬ。

「いんやぁ、参ったよ今日は。」
「与助さんの参ったよはいつものことでねぇかぁ。」
「あっはっはっはっは。
 与助は参る前に眼をひん剥いて引っくり返っちまうんだから情けねぇ。」
湯煙の向こうで響く声は、どこか懐かしく、天真爛漫であった。
しかし、話の内容が、ささくれている弥平の癇に触った。

「そこまで言わんでも良かろうよぉ。
 皆も同じようなものではないか。」
「そりゃ、おめぇ、透春先生にかかっちゃ同じだが・・・
 おめぇは退く事を知らな過ぎるのよ。」
「先生は退くことを覚えるのはいつでも出来る、一寸一分なりとも前に出よ、と仰っていたぞ。」
彼らの師匠と思しき透春なる人物を巡る武芸談は、いつ果てるとも分からぬ様子であった。

山間の旅籠にしては、洒落た佇まいであった。
いや、この宿場一帯に足を踏み入れた時から、どこか暖かく、しかし気の抜けない何かを感じ取ってはいた。
旅籠の暖簾の先にスルリと巨体を滑り込ませた弥平の身ごなしは、やはり見事なものであったが、それにまさって気付かぬうちに傍らで微笑む娘に、彼はうろたえた。
年の頃は十をも数えるだろうかという彼女は、安手の薄衣を、それでも隙なく着こなし、丁重に弥平に頭を下げた。

「いらっしゃいませ。」
「む・・・一晩、世話になりたいのだが・・・」
弥平らしからぬ第一声は、剣であれば見事に先手を取られた間抜け声であった。
その娘の存在に弥平が気付くには、間があり過ぎたのである。
(斬られていた・・・)
その想いが弥平の言葉を滞らせたのである。
娘はそんなことにこだわる風もなく、宿帳への記帳を促しながら続けた。

「ここ数日はお天気が良くて気持ち良いですね。
 皆さん、湯もいい具合だと、仰られてます。
 あいにく女将が出ているところですが、ゆっくりなさって大丈夫だと想います。
 そこの上がりの右手の部屋でしばらくお休み下さい。
 女将を呼んで参ります。」
子供ならではの溌剌とした声ではあるが、なんとも嬉しげに一息で話し切ると、小頭をペコリとさせて表に走り出た。

(妙な・・・感じだ・・・)
決して不快というわけではなく、むしろ林中の鳥のさえずりさながらに自然で小気味良い位である。
だが、弥平は記憶を遡らせながら娘の声に符合するものが中々に見当たらない。

ままに導かれた部屋には既に手際よく卓が用意されていた。
弥平が茶菓子を頬張り、グイと一口に茶を飲み干したところで顔を出したのは女将である。
傍らには丸顔の人の良さそうな番頭が息を合わせてスルリと座した。
真っ直ぐに、透き通った瞳を眩しげな笑みに包みながら、
「申し訳御座いません。
 小用で番頭を引き連れて出ておりました。」
と次第を説明し、番頭に案内役を言いつけて一部屋をあてがわれた。

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