2006年02月14日

秋桜

なんとなく、今日は山口百恵さんの「秋桜(コスモス)」のメロディーと歌詞が頭に浮かんで仕方なかった。
彼女が引退してから何年になるのだろう?
参考)
秋桜/いい日旅立ち/さよならの向う側 [Single]

少し気になって歌詞を当たってみたら、この歌詞は「母宛」のようで少し驚きました。
私は、てっきり「父宛」だと勘違いしていたのです。
他の歌詞と勘違いしてるのでしょう。
先日、作詞作曲担当(笑)の「さだまさし」さんの歌うのを聴いたばかりだというのに。

それにしても「秋桜(コスモス)」と一言、想い浮かんだだけで私の脳内は、あの山口百恵さんの歌声に満ちてしまう。
その存在感というか、影響の大きさというか・・・スゴイなぁ、と。
百恵さん世代の方で同じような経験をされる方も少なくはないのではないでしょうか?
最近の歌でも、私などは森山直太郎さん「さくら [Maxi]」に似た感覚を抱いてしまうのだけど。

綾見さんが、太宰を「殺人者だぁ〜」と仰られてましたが、誠に心に残るものというのは、時に後世の人間にとっては厄介な存在でもあります。
どれだけ苦しんでも「借り物」と自分にベタリと貼られたラベルから逃れ得ない「呪」をかけられたかのように。
ある種の奔放な文を書ける方というのは、それだけでも素晴らしいな、と本当に想います。

かといって無理に「借り物」から逃れようとすれば、そこに潜む自己顕示欲めいたものが、これまた「これでもか!」というイヤらしさで以って自分に迫ってくるのだから厄介です。
ので、今の私は、借り物なら借り物のままに、という、誠にいい加減な姿勢で臨んでおります。

今日は秋桜の咲くような日ではないのですけれど。



トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by 綾見由宇也   2006年02月17日 17:45
(かといって無理に「借り物」から逃れようとすれば、そこに潜む自己顕示欲めいたものが、これまた「これでもか!」というイヤらしさで以って自分に迫ってくるのだから厄介です。)
 自己顕示欲という単語で連想する言葉に、「自己陶酔の文学」というのがあります。僕の書いた、かつての小説らしきものに対する、さる知人の言いよう、です。「いつもながら破滅に向かっている」とも。だからといって「あなたの書いたものを読んで死にたくなりました」と迫られても困る、わけです。甚だしく。言葉というものは、やはり怖いです。厄介、です。けれど書かずにをれない自分もまた在るわけです。
2. Posted by まっく   2006年02月17日 23:55
綾見さん、こんばんは(^^)

私自身は少し拝読させて頂いただけで、さらには貧しい文学経験しかありませんけれど、
綾見さんの書かれたものに「自己陶酔」も「破滅」も感じないのですが・・・

ただ「書かねば死んでしまう」かのような切迫感というか、
「呼吸」ですね・・・を感じるのと併せて、
そのカウンターだと想うのですが、
「生」そのものが言葉に置き換わったような死生感覚には囚われます。
逆に申し上げれば、書くことで生きていらっしゃる(ことが出来る)のだな、というような。

読み手の視点でも変わるのが怖くもあり、面白さでもある。
と言ったら陳腐に過ぎるとは想いますが・・・
3. Posted by 綾見由宇也   2006年02月18日 08:18
「自己陶酔」も「破滅」も感じられないものを僕が書いているのだとしたら、漸く僕が文学なるものをこの我が身から切り離してみていられるようになりつつあるのかな、とは想いました。僭越ながら、文学はひと、それぞれの在り様で良い、と僕は想います。ただし飽くまでも真摯な在り様として。綾見由宇也

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔