2006年02月12日

踏み切りの傍に咲く

昭和40年代の板橋というと想い出に残る人すら少ないらしい。
今では賑わう高島平にようやく路線を伸ばした都営三田線も、当時は地下からようやく這出た車両の休憩場として森閑とした駅にポツリと泊まるだけであった。
その一つ手前に西台という都営団地を擁した駅があり、我が祖父母の終の住みかは、新都市の不思議ないびつさを幼心に残したものである。

深夜まで響く轟音に乗る人はなく、都会めいたネオンだけが人影を待つ。
その傍らには、山谷なぞ陳腐なヤサグレの集いにしか見えぬ人々が己の生の越し方、行く末も知らず艶めいていた。
そうかと想えば昼夜を問わぬ照明が、いかにも未来を切り拓く灯火かと想う風情で周囲を圧し、何もかもがあり、何もかもがない。
そんな三田線、西台駅の数駅前に、おじきは住んでいた。

初めての、おじきの記憶は今でも鮮明である。
踏み抜けそうな縁台を背に、想えば八畳ほどの庭抜けの部屋に座り、伯母の言葉に耳を貸そうはずもなく、
「まこと、旨いから食え、食え。」
と、やたらと葱混じりの肴を嬉しそうに進める笑顔だ。

「優しさに見合う強さがなかったのよ。」
後年の母の言である。
酒精が入れば前後もなく、私を跨いで父と格闘を始めるかと想う夜々。
子供ながら、父とおじきの争う理由なぞ、どこにもないことだけは分かっていた。
学歴もなく現場からの叩き上げで生き抜いてきた父は、母の両親にも我が子もかくや程も可愛がられていたし、それがコトをさらに厄介にした原因の一つでもあろうことは今ならば分からぬでもない。
しかし、何分、当時の父も若かった、ということでもあろう。

「真っ黒になっててね。
 何がなんだか分からなかったけど、テレビも火燵も付けっ放しで。
 その火燵につっぷしたまま、合掌して穏やかな姿だったのよ。」
母も、母の姉もまた、孤独な死を迎えた兄の死は分かっていたかのように、そして何事かが終わったかのように教えてくれた。
娘も、当然ながら女房もないままに迎えた死姿は、それまでの全てを賭して得たかのようなものがあったようだ。

おじに最も可愛がられたのは、不思議に私だったらしい。
 酒に溺れた男
そんな概念は幼少の私には、まだ持ち得はしない。
ただ、酒気に少々は当てられもしたが、乱暴な物言いや、その陰に漂う優しさも悲しさこそが実感として残ってはいる。

おじが何故に飲んだのかは知れぬ。
中毒を絶つための試みも、いくつかは試みたとも聞く。
アルコオルを抱えたままに見た夢は、果たして悲しみに、あるいは虚しさに満ちた夢だけであったのだろうか。

酒を前に一人夜を過ごすとき、おじが笑顔で座っている。
酒気のない、血色の良い恥ずかしげな顔で座っている。
後年に覚えた歌詞の一節が耳奥で響く。

幼心がいたあの場所は、誰もがいたはずのあの場所は。
今となっては酒なくして語れなぞしないではないか。
どこまで行ったかなぞと語る無意味さをも忘れるには。

そうさ、あそこにいたことを。
酒は一人、語らう人を待っている。

男の酒には、陽炎が揺らめくものである。



御霊、我らに在らん

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この記事へのコメント

1. Posted by 綾見由宇也   2006年02月12日 21:15
父に纏わる想い出は、酒浸りの日々と母の繰言。そんな父も、入院加療中は私が行くたびに「ありがとな、ありがとな」とまるで呪文のように呟いておりました。折りしも先ほどまで自作の小説の稿で、父の重篤状態に接する主人公の心根を編んでおりまして・・・・。まっくさんのお心遣い、いやもうちょっと震えますね。「有難う、本当に!!!」綾見由宇也
♪コスモスの花揺らして 貨物列車が走りすぎる そして夕日に消えてゆく
2. Posted by まっく   2006年02月13日 20:02
綾見さま、こんばんは。

駄文にて不遜とは存じますが、弔詩、ともに致したく失礼させて頂きました。
草葉食みつつ、旨き酒を飲んでいることと信じたいです。

まっく 拝

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