2006年03月

2006年03月09日

「こころ」と「友情」の想ひ出

小学校中・高学年時の担任は非常に変わった人であった。
教育に熱意はあったのだろうが、後年になってつぶさに想い出すと、
その「熱意」は、ある種の歪んだ心根から出ていたように想う。

小学校の教室というのは恐ろしく閉鎖的な空間である。
私は、自分を至極、素直な方だと想っているが、
カリスマを自己演出して気付かない彼と長く温和な時間を過ごすことは当然に出来なかった。続き、こちらにおります

紙虱

妹と二人、ある時は父の背に乗り、ある時は腹上に抱かれ、
遠い記憶にある父は、いつも本を片手にしていた。
印刷会社に勤務していた父は、様々な余本を持ち帰っても来てくれた。
といって、父が高尚なものを手にしていたわけではない。続き、こちらにおります

2006年03月06日

陽の当たらない山道

陽の当たらない山道にも、この上ない楽しみがある。
楽しくない山登りは、すべきではない。

人跡微かなりといえども、そこに向う人がいたということは、楽しみがあったからだ。
生きるために必要だったからだ。

陽の当たらない山道を歩くのに必要なのは勇気ではない。
歩きたいという想いだけである。

人は陽光の下にのみ生きるにあらず。
陽光に曝されて醜く爛れ身をまとうこともある。

白くあってこその白骨である。

骨は、白く燃えているだろうか。

まっく記 at 15:26 記事全文
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2006年03月02日

神話の始まり

モノの本によると物語、ストーリーというのは既に神話時代に原型があって、後代のものは全て、その類型をなぞっていることになるらしい。
この「類型化」というのは、学問の基礎みたいな「分類学」に似て、誠に研究者らしい作業で、私は大嫌いです。
いや、自分がするなら嫌いではない。
人が類型化するのが大嫌いなのです。続き、こちらにおります

まっく記 at 21:13 記事全文
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性(さが)

>稲垣足穂の文学は、ムズカシイです(汗)
>男性的な思考で書かれているような…、その感じが似ていると思いました。
by kairouさん

多分、蒼穹の刃に寄せて頂いた御感想。
唸ってしまう。
この「思考・感覚の違い」というのは、何に由来するのだろう・・・続き、こちらにおります

2006年03月01日

銀河マティニ

扉が重いのは何も高級素材を使っているからとは限らない。
蝶番が古くなれば、それだけで重くもなる。
扉の上で捲り返った薄板がプランプラン。
デザインに凝った取っ手もメッキは剥げる。続き、こちらにおります