2005年01月

2005年01月25日

参った(反省)(こうさぎ)

きょうまっくぅさぎは社会へ購入した。
ただきょうは、mak00kamは考え方も感謝する?
ただきょうまっくぅさぎが感謝しないです。
僅か。

*このエントリは「まっくぅさぎ」が書きました。


まっく記 at 12:51 記事全文
コメント(0)TrackBack(1)

2005年01月23日

友、か・・・

お前が転校してきたのは何年生の頃だったろう
異端視されてた俺の数少ない友よ

覚えているか?
お前と格闘ごっこで遊んだこと
あの空き地も今や宅地だ

別れは突然に来るというな

全校集会で公表された、お前がしたこと
許されることではなかったよ
社会的には、な

俺がしてやれなかったこと
いや、なんで一言もなくお前は

大学時代に聞いたよ、その道に入ったこと
借金周りをしていること
なんで俺のところに来なかった?

もう四半世紀も会ってないんだな、俺達

今でも時折、俺はお前を想い出す
お前はどうだ?

お前しか知らない俺は
お前がいない限り存在しないのか

お前の落ちた闇、俺も知っていた闇
お前は俺がいなくても?

あの時の俺達は、一体、なんだったんだろうな

あの闇を感じると、お前と会いたくなるんだ無性に

今でも

そして多分、これからも



我がチング・・・
あなたのチングはいずこに・・・?

2005年01月18日

白き炎の如く

良いモノを開発する。
製造する。
商品化する。
販売する。

ステップ毎に色々な考え方がある。
完全プロダクトアウトの突っ走り。
マーケット完全迎合のゴマすり。
どれが良くて、どれが悪いとかなんてない。

儲けられなければ潰れていく。
ただ、それだけ。

だからね・・・儲け方を考えなヨ。
いいモノ作ってたって何年も数億ぽっちの売上だなんて。
そりゃ、ダメだってことに気付けヨ。

別に、ソレが売れなくたって構わねぇけど。
アンタのやりたいよーにやればいいけど。

でもね・・・だから潰れるんだヨ。
デッカイ役立たずになった機械を背負ってね。
数え切れないほどの会社が潰れてきてんだヨ。

「ソコ」に居ついちゃえば潰れるんだヨ。
世間様はドンドン進んでるんだから。

これでいいのか?
いや、全く反対の遣り方が正しいのでは?

考えて決断、決断して考える。
変化、変化、変化・・・
その繰り返ししかないんだヨ。

ったく・・・

人の頭の上の蝿がウザくてしかたない。
どうでもいいのにね・・・

そう、どうでもいいの、おいらには。
自分のこと考えなくちゃいけねぇから。

触れたら凍るほど真っ白に。
氷の冷たさで燃えろ。
白き炎の如く。

参った(感謝編)(こうさぎ)

きょう、mak00kamと白みたいな生活されたみたい…
勝手。mak00kamは、
本当に拙い小説とも言えぬ文を書き、勝手に反省文。

にも関わらず成冨ミヲリさん、群像2月号にて勉強させて頂きます。
アマゾンで購入手続き出来ました(笑)!

といってました。

*このエントリは「まっくぅさぎ」が書きました。


まっく記 at 12:41 記事全文
コメント(2)TrackBack(0)

2005年01月17日

参った(感謝編)

本当に拙い小説とも言えぬ文を書き、勝手に反省文。
にも関わらず成冨ミヲリさん回廊さん風さんと、錚々たる方々に一文を御寄せ頂き、ひたすら感謝です。

この場にて・・・
☆ミヲリさん、群像2月号にて勉強させて頂きます。アマゾンで購入手続き出来ました(笑)!
☆回廊さん、遠慮なく書いて下さい(自滅)。
☆風さん、本職にも関わらず貴重な一文、本当に有難う御座います。しかも育てるかのように暖かい激励を込めて頂いて・・・。容赦ない評論を頂ける域に少しづつ近づけるよう(ポツポツと 苦笑)頑張ります。

こうして一言お寄せ頂けた感激は
何ものにも、本当に何ものにも替え難く
ただただ感謝としか言いようが御座いません
ネットを通じて伝わる皆さんの温もりに
書いて良かったと、やはり感謝です



今宵の感激を、お伝え出来たでしょうか
躊躇っている方の「一歩」のキッカケにでもなれれば
これからもまた、恥を書いていきたいと想います

まっく記 at 23:53 記事全文
コメント(0)TrackBack(0)
書く 

2005年01月16日

参った(反省)

初めて(自分なりの)小説を書き上げてみた。
参った・・・
今までに書こうとして挫折したことは何度もあるが、やはり「越えられなかった」。

ストーリー展開がどうこうなど、ド下手なのは当然だが、頭の中で次々に浮かぶストーリーと、それに付随する情景が書けん!!
イメージがペラペラと無様に薄くなった様は無念としか言いようがない(苦笑)。
やはり構築術というか、その手の勉強が不可欠なのだろうか?

以前、回廊さんとレスを交わした際にストーリーというかイメージが勝手に動くというのは、以前に挫折したとき通りに厄介だった。

少し時間がかかるしイメージの変質が怖いが、今回の反省を活かして考えてみた。
1.ストーリー・イメージを勝手に流しながらメモする
2.イメージを何度も流しながらメモを厚くしていく
3.ある程度まで行ったら文章に落とし込んでいく
という方法なら書けるだろうか?
チャレンジしてみるしかないが・・・

一応は書き切って想ったが、詩はどちらかというと静止画かスローモーションみたいだが、小説は動画。
構築の仕方というかアプローチというかが、やはり全然、違う。
もっとも、詩的なものでも大したものを書いてるわけではないが(自滅)

うぅ〜ん・・・参った(苦笑)。
ホントーに参った(爆)。

やっぱり、そこそこのものでも書ける人はスゴイゎ(笑)。



「やぁ〜い、やぁ〜い」という方も、「分かる、分かる」という方も、
まっく、真面目に落ち込んでます。慰めて下さいポチ(苦笑)。

まっく記 at 23:55 記事全文
コメント(5)TrackBack(0)
書く 

春、朧に猛り(4)

ゴロンと引っくり返っているうちに彼女は階下に走り降りていったのですが、追い掛ける力が出る間もないのです。
やがて何をしたのかも分からず、ただ無性に悪いことをした気がしまして、取り敢えずいつもと変わらないようになったアレを仕舞い込みまして、階下に下りて行ったのです。

元々、彼女と私の二人だった家中ですが、一言、彼女に謝ろうにも責め立てる様な静かさなのです。
なんだか無性に悲しい気持ちになりましたが仕方ありません。
そのまま黙って帰りました。

それ以来、彼女を見かけることはあっても、言葉を交わすこともなくなりました。
次の春、彼女は高校に進学し、その後どうなったのでしょうか。
私も、聞くこともなく過ごしたのでした。

後でそれなりの知識を得てみれば、なんということをしたのかと、辛い思いを抱くばかりです。
謝りたくても、謝る勇気さえないままで御座いましてね。
尤も、謝って済むようなものでは御座いません。
謝って済むような過ちではないのですよ。



謝って済まないような経験をしたことがある方もない方も。
以上はフィクションで御座いますので、御理解下さいポチ。

春、朧に猛り(3)

以下の文は、18歳未満の立ち入りを禁じます。
また、性的表現に抵抗のある方は読まないで下さい。
続き、こちらにおります

春、朧に猛り(2)

日頃かあいがって頂いているうちに、まぁ数歳上ということもあったのでしょう。
今になって想えば、数歳違うと言っても子供ながらに喧嘩三昧の小学生です。これでも上級生も一目置く暴れん坊だったりしますから腕力には覚えがあったわけですけれどね。
うちに来ないかという話になりまして、伺ったわけです。

当時、まだ残っていたちょっとした森。といっても、まぁ林に毛が生えた程度ではありますが、そこを抜けると突然にポツンと現れる素敵で不思議な感じのお宅でしたね。
伺った後に気付いたのですが、休みだったからでもありましょう、なんともいい香りを漂わせていらっしゃる。その香りにポヤッとしたまま床にストン、とですね。
女性の部屋など見たこともありやしません。珍しいやら何やら不思議な世界ですね、あれは。

彼女は大層に立派な勉強机を持ってらして、見たこともない優雅な風で椅子に軽くチョコンとです。人がこんなにも、かろく見えたのにはビックリしました。
招かれたと言っても大した話をした記憶はありません。私などには分からないようなレコードをかけてもらって、飲み物やら御菓子やらを薦められながら、ひたすら感心しておりました。

一杯に開いても蒸し暑い空気は変わらぬままなのに、大して汗もかいてない目の前の足が妙な感じでしたね。ただただ、いい香りは漂ってまして、不思議な暑さ加減でしたね。
自分が汗臭いのはいつものことでして、ちと気恥ずかしくはありましたが、そこはガキ大将を気取っておりました。



以下の文は、18歳未満の立ち入りを禁じます。
また、性的表現に抵抗のある方は読まないで下さい。
続き、こちらにおります

春、朧に猛り(1)

それはそれは蒸し暑い日でした。
今では考えられもせぬかもしれませぬが、そのような夏の日が、昔の日本にはあったのです。

周囲の田圃と言ったら、なんといいましょう。もう、少し遠目に見れば畝も怪しいのですよ。陽炎のせいでしょうか。
畑に行けば少々の腹ごしらえは出来るものですから呑気なものです。夕焼けを背にしたカラスも、それはそれは可愛いもので。
「七つの子」でしたか、全くもって、そういう風情で。カラスの鳴き声が、父上の怒声の時間を告げてくれるわけです。

母君ときた日には、毎日、泥まみれで胸を張る我が子を前に叱る気力も失せる始末です。「こんなに元気で、嬉しいでしょう?」
そう言われては小言を言う気力も失せましょう。まぁ、子供というのはいつの時代もそんなもので御座いましょうよ。叱られぬ智恵だけは真っ先に身につけるものです。

やはり教育というのが大切だと想ったのでしょうねぇ。
もっとも、算盤に行って覚えているのは算盤の独特の臭いばかりでして、未だに暗算など出来る方を拝見しますと、それはそれは素晴らしいことだと感心致します。
お習字の方も、勘違いしたのかなにか。書く場所は顔と思い込んでるような有様で、上品な初老の女性の手ほどきでしたが、大変な迷惑をかけたことと、今では申し訳ないとも言えませぬが。

そんな日々を送ってはおりましたが、これでも幼少の頃には可愛がって頂いたものです。そうお笑いになられても、臆面もなく自慢出来る時はあなたにも参りましょう。

近くに中学校が御座いましてね、子供の足でも歩いて10分とかからぬのです。結構な人気者でありましたが、中でも随分とかあいがって頂いていた女学生がおりました。
子供心にも美醜は考えるもんです。仲間に冷やかされた日には敵いませんからね。長い髪の優しい輪郭に整った目鼻立ちに恵まれた、評判の娘さんでした。
悪友と一緒にいると、一人呼ばれては菓子など頂戴したりして。まぁ自慢といえば自慢ですが、お聞き流し下さいな。

2005年01月14日

それでも書こう

このところ書「け」なかった。
書くことがないわけじゃない。
書くことは、むしろ、あり過ぎだ。

仕事にかこつけて書「か」なかった。
時間は少し厳しかったりするけれど、それは言い訳。

書くことが怖くなった?
いや、違う。
書くのが恥ずかしくなった。
あまりの拙さゆえ、も当然にある。

書くってなんだろう
何が書きたいんだろう
何が書けるんだろう

今更のことが頭を駆け巡った。
少し、昔、感動した書籍をパラパラと読んでみた。
溜息が出た。

「なんで、こんな文章が書けるのだろう・・・
 こんな文章達を前に、私は何を書くのだろう?」

何か、悔しくて虚しくて涙が出た。
でも、書こうと想う。
いや、書く。

何ものにもなりはしないだろうけれど。
みっともないだけだろうけれど。
書くと決めた。

書く。
私は書く。
一言でも。

まっく記 at 22:07 記事全文
コメント(5)TrackBack(0)
書く 

2005年01月11日

元旦記(こうさぎ)

きょうまっくぅさぎが使用したの?
まっくぅさぎは、mak00kamが蔓延♪
残虐。mak00kamは、
旧年の悔いを省み、幸に感謝す

焚火の暖に集い人の、よろず祈念を通ず門が
天空の一点に向い、開く

極東の年始に元旦あり

師、走り旧年を忘れた音声は
我が行き先を地に探らむ

人中にありて足跡を知らざる柔らかき白氷は
覚えなき陽光を撥ね返すも
僅かな穢

といってました。

*このエントリは「まっくぅさぎ」が書きました。


まっく記 at 12:13 記事全文
コメント(2)TrackBack(0)

2005年01月07日

空白脳の意義

人間の大脳のほとんどは使われていないという。
何故に使用しない大脳が存在するのか?
それに関しては未だ全く不明といってよい。

私自身は、いくつかの仮説を持っている。
ナイト・サイエンスの世界だが。

一つは大脳は膨大な生活情報の貯蔵庫ではあるが、
その本質的な目的は遺伝子操作だろうというもの。
通常は遺伝子に基づいて生体は構成される。
しかし、大脳同様、ほとんどの遺伝子の存在意義が
怪しいということが分かり始めてきた。

現在では、遺伝子は環境などのフィード・バックを受けつつ、
ダイナミックに我々の体内でその機能をON・OFFしているという仮説がある。
私は生物の大脳は遺伝子の機能を引き出す装置だと考えている。
ほぼ同じ仮説だ。

この仮説は検証もある程度可能なようで、それでも十年単位はかかるだろうが、
もう少しまともな形で理論的に明らかになってくるだろう。

もう一つの仮説は、我ながら、さらに怪しい。
それは、大脳というのは宇宙までいかずとも、周囲の環境のスクリーンという見方だ。
あらゆる五感情報、通常知覚されない情報をも。
あるいは時空を越えた世界を大脳は投影しているのではないか、というもの。

シンクロニシティが脳内で起こっているといえば分かり易いだろうか?
個人的には大脳フラクタル、と独り言を言っている。
数学理論をこんな形で妄想するのが、古い言い方だが文系頭だとは想うが。

ただ、これに一つ、脳の信号の多くが電気信号であることと併せ考えると、
予知能力なども説明が付き易い。
所謂、ゾーンと言われるスポーツ選手の特殊状態も説明可能だ。

あらゆる存在を電磁的、あるいはミクロの極限まで分解したとして、
世界に生じる現象と脳内が共振的であると見ると、
恐らくは物理的には大きな矛盾のない理論だけは出来る気がする。
時間軸がどのように超越されるのかまでは分からないのだが。

いずれ、このような「妄想」は暇人には楽しい。
いつの日か、科学が日の当たる形で妄想を明らかにしてくれれば、
人間は、また大きく刺激的な存在と再認識されよう。

とはいえ、通常はこんな話は戯言なので、せぬのが賢明かと想われる。



只今、実は御仕事を頑張ってたりします。
どうでもいいから、ちゃんと書きなさいという叱咤激励、ありがとうございますポチ。
書かなくてもいいから、という方もありがとうございますポチ。

自我の境界線

アメリカの電脳映画の影響を受けたアニメを見た。

電脳世界が蔓延し、果ては肉体も機械化され、残るは僅かな脳と自我。
脳は電脳世界に直結し、瞬時に「外部情報」を自らのものとし、
脳の記憶も「電脳世界」の影響を受け、変質する。

自分を認識し得るのは僅かな自我。
それすらも幻影かという狂気の中、存在は宇宙との同質化か無かに帰するのではないかという、
一応のメッセージ。

「自我」「存在」というのは、確かに永らく哲学のテーマではある。
現在に至っても現代思想の一部で扱われている。

そのような思索をしていたのは高校時代だったかと想う。
論理と現実の無限の照合。
気が狂ってもおかしくない作業。

一度、自転車に乗りながら幽体離脱に近い心理状態を味わったことがある。
一種の多重人格状態だ。
今では体力、精神力ともについていかないだろう。
それ以前に、そのような思索自体が虚しく感じる。

とはいえ、若い頃には特に一度は考えることがあるかもしれない。
「自分」とはなんなのか?

この問いにはいくつかの「答え」が用意されている。
客観的存在としての自分、主観的存在としての自分。
自分をとりまく関係性の中にいる自分、それを超越した自分。
存在論的には凡そコノ程度にまとめておけば良いだろう。

しかし、そもそもこの問い自体が生じる不思議さがある。
一般的には生きてる自分を疑う心理にはならない。
今、こうして存在している自分を「意識化」するなどは、
あまり大声で話すべき内容とは思えないのだ。

そこに潜むのは、「自分の存在」を神の視点で確認したいという願望ではなかろうか?
はっきりとした「自我」を求めているようで、
実は神になりたいという心理が働いているように感じてならない。
だから、存在論的な話は、どうも高飛車に感じる。

自我など対したものではないのだ。
それは物理的に言えば定義の問題に帰結しよう。
それでも、確かにミクロ的には「どこまでが自分の肌」ということはいえなくなるが。

久し振りに「自我思索」の醜さを見せつけられたようで吐き気がした。
確かに今後、特に脳を巡って「自我」の問題は哲学味をより帯びてくるだろう。

しかし・・・

やはりどういう形であれ、神にならんという
鼻持ちならない人間の傲慢さを改めて見せられるのは嫌な気分だ。



そんな下らないことは考えたこともないあたなは、多分、正常です。
ちょっと考えてしまったあなたも多分、大丈夫でしょう。
でも、少し検査した方が良かったりするかもしれないですポチ。←冗談です

2005年01月03日

まっつぐ

遥か緑けぶる彼方に天切り込む山頂だ
頂に至る線は もはや曲線とは言えぬほどにまっつぐだ

僕の前にも まっつぐの道がある
まっつぐ、まっつぐ山方に向かって道がある

霧が出れば見失い、露草を踏んで迷うこともあるが
立てば、まっつぐ、まっつぐの道がある

たまには曲がった道も進もうと
たまには後ろに下がってみようと

それでも道はまっつぐだ
まっつぐまっつぐに茫洋とした山頂に伸びている

まるで僕の意志など無関係に、嘲笑うかのように
まっつぐ、まっつぐ伸びている

まっつぐの道は迷い道よりも性質が悪い
曲がっても戻ってもまっつぐ、まっつぐ

お前が何処に行きたかろうと
まっつぐ、まっつぐ、まっつぐ さ
振り向けば、まっつぐの道がまっつぐ伸びている

道端には無数の髑髏
まっつぐ、まっつぐ山を見ている か?

人の背も見えるが表は見えぬ
彼の人もまっつぐ、まっつぐ、まっつぐだ

声を発してみてはしても
声までまっつぐ、まっつぐ、まっつぐ だ

ヨロイて歩いてみたりはしても
まっつぐまっつぐまっつぐ だ

まっつぐ、まっつぐ、まっつぐ だ
まっつぐ、まっつぐ、まっつぐ だ

捨貝(こうさぎ)

きょうmak00kamで、鎧が焚火された!
静か。mak00kamは、
メダカでも飼っているのか分からぬ様相。


鎧に身を固めて水面を背面遊泳しながら、
健気に口をパクパクしては増える。

といってました。

*このエントリは「まっくぅさぎ」が書きました。

まっく記 at 12:20 記事全文
コメント(3)TrackBack(0)

2005年01月02日

夕寺

いつもの寺に着くと、既に陽は大きく傾いていた。
古い墓石、新しい墓石も、見られなければ同じ石か。

墓中にあれば枯葉の音も死を語り、
冷たい水を遠慮がちに墓石にかければ、
それでも乾きは癒えるのかと想い飛ぶ。

じいちゃん、ばあちゃん元気か?
なぞと嘯こう気にもなるのだ。
そも一体、草葉に語り掛けずに帰れようか。

気難しい線香も、風なく乾いた日には機嫌が良い。
天上に高く上ることもなく煙漂うばかりだが、
燃え煙れば、多少は心地良き気もしよう。

それやこれやをしていれば、
いやに早いなと烏が巣鳴きする。
見上げれば既に残り葉も緑を失い、
朱を交えてユラリ漂っているではないか。

続く堂の屋根も朱塗られているのを見れば、
きっと私も朱顔なのだろう。
そうとはいえ、夕空を眺めても夕空は私を見はしまい。

幾死を夕空は照らしてきたのか。
幾生を夕空は照らしてきたのか。

黙ったままの夕空に、白い堂壁がやけに張り切って応えている。
やがては棚引く夕雲も、どこぞのヤッコに宿るのか。
宿り宿りて またぞ夕雲に戻るのか。

まっく記 at 23:38 記事全文
コメント(1)TrackBack(0)
スケッチ 

布団

どこからともなく高い音は響くも静かな夜には、
ランプに照らされたアスファルトが縮こまっている

遠近の灯りは楽しげに見えるものの
足裏から上がった冷えで腰までが鈍い

そろ悲鳴を上げた猫背を勇気を振り絞って伸ばせば
透明な空気を響かせて、星は光る

幾千光年の果ての劫火の光も凍てつくばかり
集い照らす路地も儚く闇を開き
視力を飲み込まれて眩暈するばかりとは

たどり着く階段の響きすら耳に痛く
急にシンとする人ざわめきに現実を知り
氷割りを共にした靴と足は別れを惜しみ痛む

点す蛍光管はチカチカと挨拶はするけれど
自分の役目に徹し始めると相手もしてくれぬ

主のみの孤独な部屋に暖も中々には行き届かず
見知らぬ人々の喧騒を電波越しに耳しつつ
黙然と炎を眺めるしかない

朝になればと想い、寝具をめくれば
空腹の身を燃やせと せっつく

暖かい夢は こうしてこそ生まれるのかもしれぬなどと
誰も付き合わぬ一人ごちを聞かせられた今宵は
またも勝手に更けてゆく

まっく記 at 23:12 記事全文
コメント(2)TrackBack(0)
スケッチ 

2005年01月01日

元旦記

旧年の悔いを省み、幸に感謝す

焚火の暖に集い人の、よろず祈念を通ず門が
天空の一点に向い、開く

極東の年始に元旦あり

師、走り旧年を忘れた音声は
我が行き先を地に探らむ

人中にありて足跡を知らざる柔らかき白氷は
覚えなき陽光を撥ね返すも
僅かな穢れに徐々に姿を変え、
あるいは子供の遊び相手となりて人形を模す

風ありて上ぐる凧糸は指を食い
髪、さやとせぬままに天馬と化して駆け巡り

嬌声とともに放られ、地軸に逆らう独楽は
地心に届けと屹立回転す

粛と華やかな衣を纏う恥らい女の
目出度き酒に高吟す益荒男の

神ならんものあるならば
幸満ちる日巡り記を、今こそ祝えよ歌えよ
平穏の内に