2005年01月07日

空白脳の意義

人間の大脳のほとんどは使われていないという。
何故に使用しない大脳が存在するのか?
それに関しては未だ全く不明といってよい。

私自身は、いくつかの仮説を持っている。
ナイト・サイエンスの世界だが。

一つは大脳は膨大な生活情報の貯蔵庫ではあるが、
その本質的な目的は遺伝子操作だろうというもの。
通常は遺伝子に基づいて生体は構成される。
しかし、大脳同様、ほとんどの遺伝子の存在意義が
怪しいということが分かり始めてきた。

現在では、遺伝子は環境などのフィード・バックを受けつつ、
ダイナミックに我々の体内でその機能をON・OFFしているという仮説がある。
私は生物の大脳は遺伝子の機能を引き出す装置だと考えている。
ほぼ同じ仮説だ。

この仮説は検証もある程度可能なようで、それでも十年単位はかかるだろうが、
もう少しまともな形で理論的に明らかになってくるだろう。

もう一つの仮説は、我ながら、さらに怪しい。
それは、大脳というのは宇宙までいかずとも、周囲の環境のスクリーンという見方だ。
あらゆる五感情報、通常知覚されない情報をも。
あるいは時空を越えた世界を大脳は投影しているのではないか、というもの。

シンクロニシティが脳内で起こっているといえば分かり易いだろうか?
個人的には大脳フラクタル、と独り言を言っている。
数学理論をこんな形で妄想するのが、古い言い方だが文系頭だとは想うが。

ただ、これに一つ、脳の信号の多くが電気信号であることと併せ考えると、
予知能力なども説明が付き易い。
所謂、ゾーンと言われるスポーツ選手の特殊状態も説明可能だ。

あらゆる存在を電磁的、あるいはミクロの極限まで分解したとして、
世界に生じる現象と脳内が共振的であると見ると、
恐らくは物理的には大きな矛盾のない理論だけは出来る気がする。
時間軸がどのように超越されるのかまでは分からないのだが。

いずれ、このような「妄想」は暇人には楽しい。
いつの日か、科学が日の当たる形で妄想を明らかにしてくれれば、
人間は、また大きく刺激的な存在と再認識されよう。

とはいえ、通常はこんな話は戯言なので、せぬのが賢明かと想われる。



只今、実は御仕事を頑張ってたりします。
どうでもいいから、ちゃんと書きなさいという叱咤激励、ありがとうございますポチ。
書かなくてもいいから、という方もありがとうございますポチ。

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1. コギト‐エルゴ‐スム  [ Withjjj(詩と韓国と真理とじゅんと) ]   2005年01月12日 17:10
コギト‐エルゴ‐スム 「我思う、ゆえに我あり」と訳される。すべての仮構的 権威を排したあとで、絶対に疑いえない確実な真理とし て、考える我という主体の存在を提起したもの。デカル トの言葉。 簡単に言うと、たとえ全ての世界がまやかしで、 自分自身の知能すら確実

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