2005年01月02日

夕寺

いつもの寺に着くと、既に陽は大きく傾いていた。
古い墓石、新しい墓石も、見られなければ同じ石か。

墓中にあれば枯葉の音も死を語り、
冷たい水を遠慮がちに墓石にかければ、
それでも乾きは癒えるのかと想い飛ぶ。

じいちゃん、ばあちゃん元気か?
なぞと嘯こう気にもなるのだ。
そも一体、草葉に語り掛けずに帰れようか。

気難しい線香も、風なく乾いた日には機嫌が良い。
天上に高く上ることもなく煙漂うばかりだが、
燃え煙れば、多少は心地良き気もしよう。

それやこれやをしていれば、
いやに早いなと烏が巣鳴きする。
見上げれば既に残り葉も緑を失い、
朱を交えてユラリ漂っているではないか。

続く堂の屋根も朱塗られているのを見れば、
きっと私も朱顔なのだろう。
そうとはいえ、夕空を眺めても夕空は私を見はしまい。

幾死を夕空は照らしてきたのか。
幾生を夕空は照らしてきたのか。

黙ったままの夕空に、白い堂壁がやけに張り切って応えている。
やがては棚引く夕雲も、どこぞのヤッコに宿るのか。
宿り宿りて またぞ夕雲に戻るのか。

まっく記 at 23:38 記事全文
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この記事へのコメント

1. Posted by 風 薫   2005年02月02日 10:24
( 気難しい線香も、風なく乾いた日には機嫌が良い。)
この詩にある、気難しい線香とはいかなる線香、なのか、まっく流を知りたき所存、です。風

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