2004年12月26日

言の葉朽ちて一人

災害が多いと「頑張って下さい」の言葉が舞う。
たれぞと言わず、物言うだけかとの言葉も舞う。
それはそれ、どちらの言い分も分かる気がするような。

鬱や、ある種の強迫観念に駆られているときは、
「頑張れ」というは、禁物という。
本人をより切迫するから、ということらしい。

しかし、言葉の元を辿ればニュース・キャスターが無表情に
原稿を読むだけとは事情が違わないだろうか、とも想う。
いや、ニュース・キャスターでさえ無表情だから、かとも。

人にして最大の恐怖の一つは、孤独であるという。
確かに一切の人との交わりを絶たれれば、
それだけでもさほど時をかけずに気狂った面持ちにもなるもので。
口先だけの言葉もて、人に触れるだけでも狂喜せんこともなく。

その言葉の発する元に触れることなぞ出来はせぬのに、
この種の論は不毛であろう。
そも言葉なぞ、かように朽ちてしまうものなのだと想えば憐れなものだ。

ムツカシイ記号論やら何やらを持ち出さずとも、
言葉の持つあの憐れさは、皆、心しているのです。
心しても、発せずに居られず「嗚呼」と嘆くのです。

嗚呼、と嘆かんために言葉を作ったわけではあるまいに。
それでも言葉果て嘆くのです。
一人切りの寒空に、嗚呼と嘆くのです。

いつか貴方と言葉交わせることを夢を見て。
一人切りの寒空に、嗚呼と嘆くのです。

抱き合えば、交じり合えばと想えども。
つまるところはこうして一人切り。
寒空に、嗚呼と嘆くのです。

まっく記 at 16:46 記事全文
コメント(2)TrackBack(0)
siteki想論 

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by 回廊   2004年12月26日 21:22
空気が、中也でした、素敵…。
「一人切りの寒空に、嗚呼と嘆くのです」の、嗚呼が、すべて、ですよね、ここにすべてが表現されていると思いました。
コトバを知らぬ原始人が、「嗚呼」と言ったとき、仲間の死を嘆いてか、それとも喜びに高揚してか、ともかく「嗚呼」と発したときには、少なくとも辺りの空気はふるえているわけで(音だもの♪)なにも音を発しないよりは、あきらかに何かを伝えていると思うのですよね。しかも真っ直ぐに。だから、ひょっとして、コトバを知らぬ原始人の方が、私たちよりもたくさんの情報をやり取りしていたかもしれないなぁ、などと思いました。
2. Posted by まっく   2004年12月26日 21:42
回廊さん、こんばんは(^^)
コトバと向き合っていると、やがて「嗚呼」としか言えなくなってしまうポチまっくです(笑)。
中也は、私からコトバを奪う怪盗ルパン。恨めしいほど鮮やかです。
インタアネットでポツポツ喋るのも、それはそれで楽しいのですが、やはり御惣菜の一つでもあげもらいする生活の方が、豊かな気がします(笑)。きっと、原始の「嗚呼」は、それはそれは豊穣な「嗚呼」だったのだと想います。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔