2004年12月15日

未来予報

未来を予報出来る技術が開発されたとしたら、どんな使い方をしたら良いだろう?
若人は恋心寄せる人との未来予報?
高齢になったら、やはり死に時の未来予報?

実際、純粋に理論的に考えれば出来ないことはないらしい。
しかし、肝心な点の考察を忘れていた。

何故、未来を知りたいのか?

うむ、と唸ってしまうのは、未来予報に興味を持てない私だけか?
多くの人が先が見えない不安を訴えているらしい。

しかし、やはりこの肝心な点の考察を欠いている。
あなたは不安と混迷の時代と言われるが、未来予報が出来たとしよう。

「明日、あなたはリストラされます」
「あなたは一生、結婚にも恋愛にも縁がありません」

「予報」としてでも、そういう事実を突きつけられたい?
予報は予報で外れるかもしれないとして。

「先が見えないから不安」
いかほどに辛いのかは、その表情からも察することは出来る。
しかし「先が見える」ことと「不安」が解消することとは違いはしないか?

不安は未来にあるのではない。
多分、今ココにあるのだと気付くのも、大切ではなかろうか?

などと、あなたを不安から解き放つ術を持たずに叫んでも詮ないこと。
むしろ一緒に震える?
いや、これ以上は自分に鏃が向いてくる。

なんで一緒に震えたいのか?
と、醜悪な答えを待つ問いだ。

しかし、何故に醜悪な答えと私は決め付けているのだろう?
問い掛けたことも、ないというのに。

さてよ、未来予報なんざ必要ないさね。
それは分かってくれるだろ?

まっく記 at 17:56 記事全文
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